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晩夏の三題話


 例えば、まだ囲炉裏があるような居間で。
片手枕に、寝そべりながら団扇でハエを払いながらテレビを観ていた爺さまが、
思わず身を起こして前のめりになったであろう9回表。
例えば、駅ビル「COCORO」に繋がるコンコースに設置されたテレビの前に集まった人だかりが、ざわざわと揺れたであろう9回表。
農道を軽トラで走ってる兄ちゃんが、
思わずエンジンを止めてラジオのボリュームをあげたであろう9回表。

 9回表。日本文理高校が県立岐阜商業に1点を返され、なおも二死二塁の場面。
おそらく新潟県ではこんな風景があちらこちらで展開していたのではないか。
二回戦進出が常に目標で、春センバツには北信越から殆ど出て来られない新潟県勢。
快挙といわれたベスト4からとうとう決勝戦に進出した。
雪国対決が観たいという思いもあったが、最低でも甲子園準優勝の栄誉は手にした。
開会式をスタンドで観た今年の甲子園。まさか新潟代表が残ることになろうとは。
最後の打者を内野ゴロに打ち取った瞬間、私もテレビの前で声を上げてしまったが、
新潟の田舎でも「おー」という歓声が海や山や田んぼに響いたことだろう。
相手は強打の伝統校。胸を借りるつもりでぶつかり、悔いのない試合をして欲しい。
 

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 夏の夜空を彩る花火。
海水浴には行かなくなったが、なんだかんだと花火大会には毎年足を運んでいる。
そしてそのたびに人に揉まれるように帰路に着く(苦笑)。
神奈川県内の花火大会は横浜港、鎌倉、箱根、江ノ島、三浦、相模川と見てきたが、
多摩川の花火大会だけは出掛けたことはなかった。
この花火大会の特徴は都県境の多摩川を挟んで、川崎市と世田谷区でそれぞれの花火が打ちあがるところ。
ネットで去年の出足を見てみると川崎側が15万人。世田谷側が35万人だそう。
第三京浜の橋近くに陣取ると両者が打ち上げる花火を同じ視界に捉えることが出来る。
日のある内から土手に場所を確保して、河川敷に並ぶ露天を眺める。
お好み焼き、やきそば、とうもろこし、たこ焼き、チョコバナナに綿菓子。最近は「ケバブ」なんて屋台も出現している。
関西だとトラッキーのお面を売る屋台があるのだろうか。

多摩川花火大会川崎会場 素人目にも浴衣の着こなしがぎこちない女子高生風にTシャツ少年のカップル。
夜が近づくにつれて夏祭りの雰囲気が盛り上がってくる。
それにしても花火は昔から見てきたが、随分とバリエーションが増えたものだ。
去年の秋には土浦の花火競技大会に行って、花火師たちの新作披露を楽しんできたが、
スタイルマークやUFOの絵になぞらえた花火などは既に定番になりつつあるようだ。
しかし色とりどりの花火より、単色の火の粉が尾を引くしだれ柳が一番好きかも知れない。
最近のしだれ柳の火の粉はキラキラとメタリックな光を放つが情緒は今イチか。
しかし、やはり海辺での水中花火の鮮やかさを見てしまうと、川べりの花火大会は物足りなさが残る。
もちろん何年か前に出掛けた隅田川の花火大会のように、あまりにも人でごった返す中、高層のビルの窓に反射している花火を見るなんてのは論外もいいところだ。
来年の夏は久々に湘南海岸でも出掛けてみようか。


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 かつて札幌オリンピックで笠井、金野、青地の日の丸飛行隊のブームになったとき、
ブランコから勢いをつけてジャンプして距離を競う遊びが流行ったが、
今、そんなことをやったら再起不能の大怪我をやらかしそうな気がする。
明らかに高いところから飛び降りるのが怖くなった。
身長が伸びて目線が上がったこともあるだろうが、飛び降りたときに膝にかかる衝撃に自信がなくなったということもある。
たまに公園などを歩いて鉄棒を見かけても、連続逆上がりを今はやれる自信がない。
本来、人間は大人になることによって様々なものを克服していくのだと思うが、その逆も多いのだ。
以上は、加齢とともに自覚する肉体の衰えからくる自信喪失なので仕方がないとしても、
もっと情けない話もある。
その典型が私にとっては虫。とにかく虫が触れなくなった。

乱入バッタ「逆転くん」 先日のこと。ナイター中継を観ている最中、大きな影が手元を横切ったのでびっくり。
どうやら謎の飛行物体が蛍光灯の真下を通過したらしい。謎の正体はバッタ。
反射的に玄関を見るとドアが全開。うっかり簾を上げたままにしていたのだ。
小学校の頃は草むらでバッタなど手づかみに投げ飛ばしながら歩いていたものだ。
いや、今でもバッタが草むらにいる分には大したことはないと思うのだが、
部屋の中で跳ねたり飛んだりされるのはどうしようもなく我慢が出来ない。
壁に止まっていても手掴みでは触れない。掴もうとした瞬間に羽根をバタつかされた時に、不覚にも「ひゃっ」なんて悲鳴をあげそうな自分を想像すると情けなくなる。
アホみたいなプライドもあって、なるべく自己嫌悪はしたくないのだ。
まして、新聞紙を丸めて叩き潰したりすると、緑色の気色悪い内容物やら溶液が壁にこびりつく様が脳裏をよぎってしまう。
下手な想像力というものが最大の敵なのかもしれない。
以前、やはりナイター中継の最中にゴキブリが現れてパニくったことがあり、
ネットの掲示板ではそのゴキを「三振くん」と名付けて話題にしたことがあったが、
同じ掲示板で、このバッタを「逆転くん」と呼ぼうという話になった。
要するにタイガースはどうしようもない試合をしていたということなのだが、
「逆転くん」は敏捷で、とても玄関の外に追い払うことなど出来ない。
結局、壁に止まったところを恐る恐るスーパーのレジ袋に捕獲したのだが、
丸まった袋から触覚がはみ出していたりで、口を縛って捨てるまで戦々兢々だった。





author:ZAto, category:戯言, 01:11
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夏の情景

 本当に久しぶりに蚊取り線香に火をつけた。
火をつけた途端に漂ってくる懐かしい夏の匂い。
麦わら帽子、ランニングシャツに虫取り網。
草いきれの匂い、膝小僧の赤チン、シャワーのように降り注ぐ蝉の声。
当たり前すぎる夏の情景。そんな当たり前のことをずっと感じていなかった。

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 午前中にプール教室で学校へ行く。
強い日差しに温められたビート板にしがみつきながら、バタ脚の練習。
バシャバシャと飛沫が乱反射した小学校4年の夏休み。
隣のコースではリコちゃんが、軽快な平泳ぎで抜かしていく。
思わず板を投げ捨て、クロールでリコちゃんの水泳帽から垂れる後ろ髪を追う。
もう40年近く会っていない幼なじみのことを思い出すとき、
いつも水泳帽から垂れる後ろ髪ばかりが目に浮かぶ。
だからいつもプールでは先を泳がれていたのだろう。
クロールに飽きると、ゆっくりと背泳ぎになって空を見上げる。
夏の太陽、綿菓子のような入道雲。

 友だちと一緒に団地に帰ると、脱衣所に置いた洗濯機に海水パンツを放り込む。
昼ごはんを作る母親の背中から聞こえてくるフライパンの油の音に、
プールでバテていたのに揚げものは勘弁と、御座に寝転がる。
座布団二つ折りの枕。あの頃の夏は窓を開ければ扇風機だけですごせた。
チリーンと隣のベランダから風鈴の音色。
そこにも蚊取り線香の煙が風に溶けていたかも知れない。
昼食の仕度が出来たと呼びかける母親の声にわざと寝返りを打ちながら、
腕にしみたカルキの匂いに眠気を誘われて、そのまま、、すぅ〜と…

 夢の途中で母親がタオルケットをかけてくれたような気がする。
寝汗に扇風機の風があたるのが気持ちいい。
蝉の声が一段と喧しい中で、窓の外から聞き覚えのある声、声。すぐに顔が浮かぶ。
ゴムボールをバットで打つ音、友だちが遊んでいる。誘ってくれてもよかったのに。
また鼻をつくカルキの匂い。キラキラ光る水面がよみがえる。
野球遊びがしたいな、でも体がふやけて動かない。

 ところで今、何時頃なんだろ。
玄関の閉まる音で完全に目覚める。母親が近所の井戸端会議に顔を出しに出掛けたか。
ガチャと鍵がかけられる音。ひとりになった音。
そっと起き上がる。隠れるように窓の外、友だちが遊んでいるのを覗く。
清水が打ちあげたフライを、村越がとり損ねたものだから、清水がなじっている。
お膳の上の布きんをめくり、茄子のてんぷらをつまみ食いしながら時計を見る。
午後3時半。ベランダから差し込む日差しが箪笥の影を伸ばしている。

 「おう、お前の母ちゃんに寝てるからっていわれたぞ」
面倒くさそうな顔を作ってベランダに出たら、友が見つけてくれた。
「夜、集会所で花火やるけど来る?」
あくびしながら「ああ」と気のない返事をする。リコちゃんも来るのかな。

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 蚊取り線香の渦巻きがぜんぶ灰になるまで、およそ7時間。
らせんから立ちのぼる煙に映し出された情景に、
ふと思いを馳せた休日の昼下がり。
思い出はらせん階段の途中でふと顔を出す。
踊り場がないから片足を踏み出しながら渦巻きの下を見る。
あれから何度も夏を通り越して、それぞれの夏があった。
でも当たり前の夏がほんの一瞬に思えるのはなんでだろう。


author:ZAto, category:戯言, 23:31
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ブログ開始、ほぼ一周年


 桜の写真は、今時期のブログの王道ということで倣ってみました(笑)。
そうはいっても花見をやった砧公園はコンサート会場かよ!という賑わい。
世田谷区の砧は、近くに東宝撮影所、NHK、世田谷美術館がある首都圏の文化都市。
確かに満開の桜の下にいると、一気にハレの舞台を作り上げるパワーを感じます。



 そうはいっても桜が満開に咲き乱れるなかで、
テポドンがカウントダウンを始めたというニュースがあり、
東北では迎撃ミサイルの配備が完了したという現実があります。
花見の名所・朝霞駐屯地では、自衛官が花見客ひとりひとりを金属探知機でチェック。
武器携行の有無を確認されてやる花見…シュールすぎて漫才のネタを越えていました。
この公園にしても数キロ先にある首相官邸では緊張の時を刻んでいたわけで、
多くの人々がほろ酔い気分で満開の桜を眺めている風景とセットで並べてしまうと、
何とも映画のワンシーンのような空々しくも不気味なイメージを孕んでいます。



 でも考えてみればブログの記事なども似たようなもので、
世の中の大きな揺れ動きも、結局、個々のひとりひとりが抱えている事情の集合体に過ぎないのではないかと思うわけです。
かつては逆で、個はひたすら公に呑み込まれるものとして存在したはずでした。
ところが価値がますます多様化してきたことで、それぞれの個が異常に突出してしまい、
そのいちばんの象徴がブログ社会なのではないかとも。
当然にして、そんなヒエラルキーの逆転は幻想に過ぎないわけなので、
膨張しすぎると、どこかの段階で強烈なしっぺ返しが来るようで恐くもありますね。

 …って、話が途方もなくややこやしくなりました(汗)。
別に桜の花びらを眺めながら、小難しいことばかり考えていたわけではありません。
阪神戦の実況板を携帯でチェックしながら、チャンスを生かせない打線に苛っていたというのが実際ではありました(苦笑)。

 ブログも始める前までは書いておきたいことはいろいろとありました。
でも実際は自分で書くよりも人のブログを読んでいる方が楽しいですね。
とくに本ページに「日めくり」など始めてからは、更新も億劫になったりもしました。
これを本格的にスタートさせた去年の4月と、今とでは生活時間も違ってきて、
よほどのことがない限り、休日出勤も会社泊もなくなりました。
基本的に夜型だった体も、徐々に早朝型に移行しつつあるようで、
たかが一年ではありますが、いろいろと変化はあるものです。

 下の画像は東急の用賀駅から砧公園まで向う途中の三条通。
足元の道には小倉百人一首の句が彫られています。
例の『ちりとてちん』でおなじみの崇徳院の句を探したところ、見つけました。



 「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ」

 一年間、このような辺境ブログを覗きに来て戴いたり、
コメントを寄せてくださった方々に本当に感謝です。


author:ZAto, category:戯言, 22:23
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背中丸め鼻歌まじりでナルシズムに


 酔い覚ましに新宿三丁目の駅で下車して、
様変わりした大都会で、昔からの馴染みである一角を歩く。
学生時代、ゲイのマスターに酔いつぶされ、後輩を生贄になんとか難を逃れた男娼宿は
路地ごと消えて、新宿貨物駅跡には豪華なデパートが建った。
それもすでに13年前のこと。
その巨大なバルコニーはクリスマスでもないのにイルミネーションが煌き、
骨まで染みるような寒風に揺れて、カップル達の白い息を反射させている。
コートのボタンを喉元までとめて歩くと、背中がどんどん丸くなっていくのだが、
丸まったまま団子になって、灰皿のある場所まで転がっていければ楽なのにと思う。

 わざわざこんな夜に甲州街道の両端を歩くことはなかったのだが、
生まれた日は大雪で、寒さはこんなものではなかったはずだと思いながら、
ガードづたいに朽ち果てる寸前の大衆食堂のテントを確認し、
新宿国際劇場の古色蒼然たる佇まいに安堵しながら、昭和館のビルに昔日を思う。
そういえば学生時代に見ていたおじさんたちは、
みんな背中を丸めて昭和館に吸い込まれていった。
なんという邂逅だろう。
匕首の封印を切った高倉健の絵看板は幻影となったまま、
私の脳裏に迷い込んで「絶賛上映中」の札がいつまでも剥がれないでいる。

 決して雨など降っていないのだが、
二十歳の頃に作った歌が、ふいに口をついでくる。
世の演歌ワードを無理やり引っ付けて七五調にまとめたものだが、気に入っている。
歌のタイトルは忘れてしまったが。

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  やくざ者だと 
  俺をなじって泣いていた
  おまえの肩に降りかかる
  冷たい雨に傘さして
  春のしぐれと慰めたいが

  こんな暮らしが
  わりと性に合ってると
  無理に笑ってため息ついた
  淋しく揺れるその背中
  やけに今夜はやつれて見えた

  こんなバカに
  なんにも云わずについてきた
  しあわせ見つけてあげたいが
  いつ止む知れずのこの雨が
  おまえの夢を濡らしてる

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 まったく…中途半端に酒など飲むんじゃなかった。
因みに、今日が誕生日だという人を他にふたりほど知っている。
迷惑かも知れないが(笑)。


author:ZAto, category:戯言, 23:59
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今日という日


 新年に入って十日。仕事始めから一週間。
無為に過ごした一日が人生の中で喪失した時間ということなら、
今日はまったくもって意味の見出せない一日となってしまうのかもしれない。
この連休が明ける時には、今日という日に何をしていたのか思い出すこともないだろう。

 ブログを始めてからまだ一年も経たず、
週に一度、更新するかしないかのゆったりとしたペースであるものの、
それなりに何かがあればキーボードを叩いてきたつもりではある。
しかし不意に、その無為に過ごしているこの時を記録してみようかという気になった。
記録することで無為なものに意味が出てくるとも思えないのだが、
「2009年1月10日の土曜日に私は無為な一日を過ごしました」と、
無為であるということに思惑を込めてみるのも面白いのかも知れない。

 なにせ寝正月から仕事始めに入って、いきなり生活のリズムを整えたものだから、
この一週間は妙に体調がぎくしゃくしていたように思う。
今の仕事はクタクタになるような疲労はないものの、
一定の緊張感が要求される仕事なので、正月呆けと格闘した一週間ではあった。
野球のシーズンが始まればどうなるかわからないが、
毎週末の土曜日はしばらくこんな調子になるのではないか。

 NHKの朝ドラ一週間分のまとめ再放送をBSで終わって、
地上波に切り替えるとテレビは各地の天気予報を伝える。
桜島の頂が白くなっている映像を眺めながら、
窓を開けて、空模様と洗濯物のたまっている量とを天秤にかけてみる。
連休なので何がなんでも今日中に洗濯を済ます必要もないのだが、
柔軟剤の残り分量を見て、使い切ってしまおうと洗濯機を回す。
ガーガーと洗濯機の音が以前よりうるさくなっている。
やはり玄関の外に置くしかないアパートでは痛みが早いのかと思いつつ、
かじかんだ手を息で温めながらネットで洗濯機の価格を調べてみる。
贅沢いわなければ3万円前後か。
洗濯機を回している間にメールを一通送り、
オーブントースターに豆餅を放り込み、アルミ箔にへばりついたのを苦労しながら、
簡単な朝食兼昼食を済ませると、そこで最初の睡魔がやってくる。
もちを食べた直後に睡魔の誘われるまま寝床に就くのも大概なので、
インスタントコーヒーで眠気を追い払うことにした。

 それなりに歳を重ねてくれば嗜好品に凝っていくべきものなのだろうか。
昔はドリップやサイフォンで淹れたコーヒーを楽しんでいたものの、
私は逆行するようにインスタントコーヒー専門になってしまった。
ゴールドブレンドは棚に1ダースほどストックしてある。
スーパーで特売398円を見つけるとまとめ買いをしているのだ。
私のようなカフェイン中毒者にはインスタントコーヒーで十分である。

 洗濯物を干しているうちに従弟の息子くんとの約束を思い出す。
十歳のD君は東京の墨田区で叔母夫婦が経営する焼き鳥屋の孫なのだが、
先日、親戚が集まった年始会で十歳のD君がタイガースファンだったことを知り、
虎グッズを送るという約束をしていたことをすっかり忘れていたのだ。
その焼き鳥屋の店内には読売巨人軍のカレンダーがぶら下がっていた。
下町という巨人ファンが大勢を占める土地柄で虎党の出現は嬉しい限りで、
「その意気や良し」と、虎のネーム入りのシャツやユニフォームを選び出す。

 何気なくつけていたテレビでは常識のウソをテーマにした番組をやっている。
 “消防隊員がすべり棒で降りていくというのはウソ”
 “裁判官が小槌を叩いて傍聴席を静かにさせるのはウソ”
 “暗い所で本を読むと視力が落ちるというのはウソ”
その中で思わず「ホンマか?」と思ったのが、
「小食にすると胃が小さくなるというのはウソ」というもの。
私は正月を過ぎると決まって大食いになり、常に空腹大王になる。
豆餅はとっとと胃の中で消化され、新たに「どん兵衛」にお湯を注いだくらい。
おかげでまたも睡魔。
間違いなく“空腹が満たされると眠くなるはホント”である。
結局、ソファに寝転がっているうちに睡魔に絡め取られてしまった。

 ファンヒーターのアラームが鳴って、スイッチが切れるのと同時に目が覚める。
どうやら三時間ほど寝てしまったようで、窓を見ると薄暗くなっている。
図らずも寝てしまって、窓の暗さを見たときの「やっちまった感」は好きだ。
「なんとも怠惰な一日だな」と思いながら再びテレビのリモコンに手を伸ばす。
テレビ画面には夜の新宿の繁華街。靖国通りの眩いばかりのネオンの海。
そこで茫然とするビル・マーレイと、憂い気な眼差しのスカーレット・ヨハンソン。
数年前、新宿武蔵野館で観た『Lost in Translation』。
まだ殆どのシーンを憶えていたが、そのまま見入ってしまう。
ラストでビル・マーレイがスカーレット・ヨハンソンの耳元で何かを囁く。
一体、何を囁いたのだろうと、ずっと気になっていたままだったのだが、
今回は何となくわかったような気がした。
喧騒で溢れる異国の街で、居場所を探してさまようことは孤独な作業だ。
違和感に苛まれる男女が一瞬の開放を求める場面が清々しい。

 チャンネルを切り替える。
リュック・ベッソン製作の『TAXI』の何作目かがクライマックスを迎えている。
カーチェイス映画は昔から大好きだが、緊張感皆無の牧歌的なアクションは辛い。
さらにそのままテレビをつけていると『007/ゴールドフィンガー』が始まる。
今まで「ボンドはショーン・コネリーに尽きるね」と何度いってきたことだろう。
これ、我々世代の映画好きの常套文句ではないだろうか。
久々にジョン・バリーの音楽とシャーリー・バッシーの歌声が聞きたくなり、
オープニングのタイトルバックだけ観賞して、NHKのニュースを観る。

“日本電産 社員一万人の賃金削減!1%〜5%”

 「またか…」と思う。しかし「待てよ」とも思う。
これは期間労働者の解雇や派遣切りではなく、正社員の賃金カットのニュース。
よくよく聞いてみれば「雇用維持のため、危機感を全社で共有する」ためという。
これまで切り詰めてきた社長以下の役員報酬をさらに50%減額するともいう。
個人的にはトヨタやソニー、キャノンが大幅の人員整理をするならば、
正社員に暮れのボーナスなど支給するべきではないと思っていたので、
日本電産の決断には快哉の叫びをを差し上げたい気分だった。
当たり前のことだが、賞与など会社が利益を出してこその話。
同じように財政が悪化している自治体の公務員にも賞与など与えるべきではない。
以上、事情ありて、ずっと賞与とは縁のないオヤジはやっかみ半分で叫ぶのである。

 などとテレビをつけながら、ブツクサやりながら夜も更けた。
そこでこの駄文を綴り始めて、ますます夜が更けていく。
腹が減ってきたものの、自炊も外食も億劫。結局、宅配のピザを注文する。
ピザハットは割引クーポンを使って2100円の会計。少々、贅沢だったか。
いや実家から持ち出した豆餅に、どん兵衛に、宅配ピザ。贅沢であるものか。

 せめて、今日中にこの文をアップしようとしたのも果たせず、
ありゃりゃという間にカレンダーがめくれている。
朝起きた時から何事もなくダラダラとした一日になるのことはわかっていたが、
こんな、すぐに忘れてしまうような一日でも、
「2009年1月10日の土曜日に私は無為な一日を過ごしました」という記録は残した。
冒頭にも書いたとおり、無為なものに意味を持たせる気はないものの、
世が世であるだけに、この先、どんな事態が待ち受けているかも知れず、
無為であることの実感を思い出したいときに、この文は役に立つのかもしれない。
Yahoo!のトピックスには『TAXI』主演男優が殺人未遂で逮捕とのニュース。
無為な一日を記録したために起こった符合のようにも思えてくるから不思議なものだ。

 そろそろこの文をアップしようと思っているのだが、
今になって、D君に送るつもりのユニフォームが放置されていたことに気がついた。
まったくもって「やれやれ」ってなものである。


author:ZAto, category:戯言, 23:59
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初詣
 世田谷の松陰神社に初詣に行ってきた。
参道を歩き、おみくじを引き、お守りを買って、吉田松陰の墓前で手を合わせる。
学生時代からおなじみの場所ではあるが、
三軒茶屋から世田谷線に乗るのも、すっかり年に一度のことになってしまった。

 おみくじは去年と同じ「小吉」。
『〜池水に かげはさやかにうつれども 手にとりがたき 冬の夜の月〜』
つまり水の中に月は鮮やかに見えているが、それをすくうことが出来ないように、
思うように事は運ばないので、万事控えめにして時の来るのを待てということ。
去年のおみくじでは、商売は「他人の世話で利あり」となっており、
転職に至るあれこれのことを思い出すと、なるほどなと手を打つこともあった。

  【願望】思うにまかせず目に見えて早くは出来ず
  【待人】来れども遅し
  【失物】身近 高い処
  【旅行】金銭の費多し 慎め
  【商売】利益なく損あり
  【学問】基礎を見直し勉学せよ
  【相場】急ぐな 待てば利あり
  【争事】勝ち難し 言うな
  【恋愛】感情を押さえよ
  【転居】動かぬがよし
  【出産】身を大切に取り扱え
  【病気】医師を選べ
  【縁談】口舌ありて心配する何も言わずに待て

 いかにも「小吉」らしくあまりパッとした感じでない。
物事すべてに「勝ち負け」があるのだとすれば、勝を拾えないことも多そうだ。
要するに派手な振る舞いは得にならないという一年なのだろう。
消極的な感じがしないでもないが、甘んじてそれに従いたいと思う。

 さて、参拝も済ませて、年始休みが終わる。

 かつて十年もそんな生活をしてきた名残が未だに燻っているのか、
休みに入った途端、いきなり起床、就寝のバランスが狂っていた。
基本的に人間は「夜寝て、昼活動する」ように体は出来ているのだとは思う。
しかし、あの頃はアラームに起こされて目を覚ましていたことが殆どなかった。
夕刊が届く頃に家を出て、朝刊が配られてから帰宅する毎日。
深夜、店を閉めるとアルバイトの学生を連れてラーメンを食べに出かけながら、
その当時は妙にイケイケで、高速代もガソリン代も知ったこっちゃなかった。
二度と、毎朝、満員電車に揺られて通勤するなんて芸当は出来ないだろうなと、
その当時の私は本気で思っていたものだった。

 再び、朝の電車通勤が復活してからすでに五年が過ぎた。
そして明日からまた朝の通勤が始まる。


author:ZAto, category:戯言, 23:59
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バックアップとリカバリー
 ケータイからブログ記事をチェックして言い回しを変えたりしているうちに、
記事の1/3が消えてしまった。
ケータイで編集するにはアップできる文字数が制限されていることを知らなかったのだ。
下書きはゴミ箱へ捨てていて、とっくに空。
どうもパソのゴミ箱のフタが開いている状態が好きではないのだ。
よく人には「バックアップを取らなければダメだぞ」と知ったかぶるのだが、
自分のことには、あまりにも無頓着であるということが露呈されたわけだ。

 そもそもパソについては、オフィスもフォトショもイラレも必要で覚えたのだが、
それはソフトを動かせるに過ぎず、パソそのものの知識についてはまったくの無知。
無知どころか未だに「手におえないもの」だとして、アレルギーが続いている。
C言語どころか巷に溢れているパソコン用語やネット上の常用語、隠語に至るまでわからないことだらけ。
パソでつまずいたときに、自力で解決しようとネットで検索することも、
【ヘルプ】をクリックすることすら最初から放棄してしまう。
要するにアホなのです。
そもそもパソ画面から説明を読むことがダメ。
すぐ知らない用語にぶつかり、その意味を調べるためにまた検索。きりがない。
「好きだ」と思うことにはわりと根気よく追求する方ではあるのだが、
ことパソに関してはそういう探究心はゼロ。早い話が嫌いなのだろう。
何せ最初にマッキントッシュを買ったとき、「こりゃアカン」と思い、
新たにワープロを買った男である(爆)。
マックで音楽を聴きながらワープロで会議資料などを作っていた。

 以前はパソコンに詳しい職場の後輩がいたので非常に重宝した。
アクシデントが起こると直ぐに電話して状況を説明し(その説明も難しいのだが)、
操作などを教えてもらった挙句に、最後は「悪りいけど、来てくれ」で終わり(苦笑)。
というよりも、パソ好きは困難な局面に成ると「よっしゃ」と燃えてくるようで(笑)、
徹夜も厭わずに頑張ってくれる。
そこで自分も解決方法を一緒に学習すればいいものを、
作業を見ているだけで、次第に飽きてきて横で爆睡。最低ですな(呆)。

 誰でも経験があると思うが、長時間かけて書いた文章が消えてしまい、
それを一から書き直すという作業のしんどさたるや相当なもの。
今回のブログ記事をまたも書き直す気力はないとなると、
消してしまった記事をなんとか復元するか、なかったこととして葬るか(笑)。

 一応、Googleで「ゴミ箱を空 復元」で検索すると、
フリーでハードディスクからリカバリーするソフトがあることを知ってダウンロード。
ダメ元でやってみたら、検索すること2時間。
過去に捨てたエロ動画から何から何やらまでボロボロと湧き出て来た(呆)。
しかしワード文章はとうとう見つからず諦めることにしたのだが、
試しにGoogleで「上111下64 M−1」で検索してみたら、
昨日の朝の時点でのキャッシュが残っていた。
なんだかなぁ〜と思ってそれをコピペして再アップをすることが出来た。
それにしてもネットにはいろいろとクズが落ちているものである。

 そのネットのクズを拾ってふと思ったのが、
こうして自分が捨てたり、削除したつもりでいたものでも、
わりと簡単に拾おうとすれば拾えるものだなということ。
リカバリーなどパソをよく知る人には常識なのだろうが、私はよく知らなかった。
ダウンロードしたリカバリーソフトには「完全消去」という機能もあるくらい。

 そういえば、自殺の名所として有名なある断崖には、
「あなたはハードディスクを壊して来たか?」という立て札があり、
これが案外、ことを思いとどませるのに有効であるという話を聞いたことがある。
確かに、死んだ後にパソをリカバリーされてエロ動画など出てきたら何だか嫌だ(笑)。
現世の名残りで迷う幽体の先がハードディスクやケータイでは怪談にもならない(爆)。
しかも指名手配でもされてしまった日には登録しているアドレスに迷惑がかかる。
いや死んだり、逃亡したりなんて話よりも以前の職場で使っていたマシンはどうだろう。
一応、余計なフォルダやファイルはゴミ箱に捨てて、空にはしてきたのだが、
完全に消去したわけでも初期化したわけでもない。

 いやはや人間はなかなか自分の痕跡は消せないということがよくわかった。





author:ZAto, category:戯言, 16:24
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「懐かしい〜!」 について考えてみた


 カラオケでのこと。

 私が井上陽水の『少年時代』を歌ったとき、
三十代の奴から「おっ、懐かしいですね!」といわれた。
「へっ?」と思った。私は『傘がない』を歌っているわけではなく、
若い奴らに気を遣ったつもりで陽水の新めの曲を歌ったつもりだった。
先ほど調べてみたらリリースは1990年。何と18年前の曲だったのだ。
確かに三十代にしてみれば懐かしい曲だろうが、私には少しも懐かしくなかった。

 以下は、昭和三十年代半ば生まれ限定の書き込みになるかと思う(笑)

 最近、テレビやマスコミもすっかり世代交代したのか、回顧番組のような企画が多く、
そこで、若手のタレントや芸人が「懐かしい〜!」と矯正をあげる場面が目につく。
それが『キン肉マン』だったり『ドラゴンボール』だったりするのだが、
確かに新しくはないが、そのあたりは私が二十代の頃に仕事にしていたシロモノ。
いろいろと思い出はあっても「懐かしい〜!」という感覚は皆無に等しい。
当たり前の話、五十手前の私にとっても、三十代にとっても1990年は18年前だ。
時の流れは等しく流れているはずなのに、なぜこうも印象が変ってしまうのか。

 以前にも書いたが、身近に成長する子供がいないと時間軸がぼやけて困る。
時が流れていることに恐ろしく無頓着になっているのだ。
結婚、出産した友人や同僚たちは、しばらくは写真付きの年賀状を送って来るのだが、
小学校にあがった頃からそこで時がストップしてしまっているので、
「息子が大学、娘が高校に入った」なんて話が不意打ちのようにやってくる。
先日も母親から「はとこの○○ももう26になって」なんて話を聞いて驚いたばかり。
とにかく三十代半ばではピンクレディを憶えていない世代になるとのこと。

 元同僚たちとの飲み会では、職場結婚した奥さんに電話する趣向があった。
高校生の母親だろうが何だろうが、こちらは二十代の○○さんのイメージしかないものだから、すっかりその年頃の女性と電話をしている気分になっていた。
声のトーンも昔のままだから、とても二十数年ぶりの会話だとは思えない。

 ちょいと時の流れに鈍感になりすぎてはいまいか。
そしてその鈍感にさせている元凶が「懐かしい〜!」という感覚の欠如ではないかと思うのだ。

 そうなると私にとっての「懐かしい〜!」はいつ頃までのことをいうのだろう。
村山実、江夏豊は懐かしい。グループサウンズもピンキーとキラーズも懐かしい。
『宇宙少年ソラン』『ひょっこりひょうたん島』『サインはV』は懐かしい。
しかしそのあたりの「懐かしい〜!」は高校生のときからすでに十分に懐かしかった。
ピンキラの『恋の季節』が1968年なので、高校生だった私はたかが十年前のヒット曲を懐かしがっていたことになる。

 ならば十年という時間のスパンを区切って、2008年現在から十年単位で遡ってみた。

 ●1998年(10年前)
 ・長野オリンピック開幕。
 ・宮部みゆき『理由』
 ・映画『踊る大捜査線THE MOVIE』
 ・SMAP『夜空のムコウ』
 ・椎名林檎『歌舞伎町の女王』
 ・ゆず『夏色』
 ・宇多田ヒカル『Automatic』

 ●1988年(20年前)
 ・ソウルオリンピック
 ・リクルート事件
 ・村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
 ・映画『となりのトトロ』『ラスト・エンペラー』
 ・長渕剛『とんぼ』
 ・Wimk『愛が止まらない』
 ・松田聖子『旅立ちはフリージア』

 ●1978年(30年前)
 ・大韓航空機撃墜事件
 ・キャンディーズ解散
 ・掛布、オールスターで3連発(笑)
 ・高橋三千綱『九月の空』
 ・映画『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』
 ・サザン・オールスターズ『勝手にシンドバット』
 ・ゴダイゴ『ガンダーラ』
 ・山口百恵『いい日旅立ち』
 ・八神純子『みずいろの雨』
 ・ピンクレディ『UFO』

 十年前の事象など感覚的には五年前くらいの出来事のようで驚いてしまったが、
三十年前の出来事であっても全然、懐かしさがないのはどういうことだろう。
まず一年が過ぎていくスピードが早すぎる。
一日は長いが(笑)、一週間は早い。前の職場では気がつけばいつも月末だった(笑)。
もちろん、五十歳が感じる十年と二十歳が感じる十年が違うのは当然ではある。
人生の1/5と半分とでは感覚が違うし、重みも違う。

 そもそも三十年前のことを懐かしがれない自分の情けなさが問題なのではないか。
身近に成長していく時間軸を持っていないのだから情けないのは当然としても、
紆余曲折、二転三転しながら二十代の頃と年収が変らず、
相変わらず阪神タイガースの勝った負けたで一喜一憂しつつ、
未だにIWGPチャンピオンが武藤敬司であることに安心しているという日々(笑)。
せいぜい持っている時間軸といえば、老いてゆく両親と、古びていく家。
そして自分の髪の毛と、細かい字が読めなくなった目と、挙げると痛みが走る肩。
(…次第に綾小路きみまろのようになってきたな)
大した人生設計を持たないで浮草暮らしをしてきたからこの様なのだ。

 まあ反省の多い人生ではあるのだが(じぇんじぇん反省してないが)、
懐かしいことも、ついこの間のことのように思いながら、
歳を重ねつつ、ゆっくりとボケていくのも悪くないのかも知れない。

author:ZAto, category:戯言, 17:48
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小春日和


 母親から電話。
「日向薬師に参拝しようと思うのだけど、行きかたを教えてくれ」
「今からひとりで行くのかいな」
「付き合うか?」
そういうやり取りがあり、多少面倒な気もしないでもなかったが、
窓の外を見るとうららかな小春日和。とくに予定を入れているわけでもない。
とくに都会の景色ばかりを見ているので、たまには綺麗な空気を吸い込みながら、
あわよくば紅葉狩りもいいのではないかと思って付き合うことにした。

 先日に喜寿を迎えたばかりで(どこかで八十を越えたと書いてしまっていた…汗)
足腰が弱っているくせに出かけたがりの母親が山寺に行くのも心配ではあるし、
そもそも私自身が母親と連れそうことに照れるという歳でもない。
そして「あのとき、一緒に行っておけばよかった」と思うときが必ず来る。
母親は数年前に腹部動脈瘤の手術をして以来、一気に老け込んだ気がする。
そしてまた、脳血管に小さな瘤が見つかり、先日はMRI検査で指を挟み大怪我をした。
就職活動もあって、自分のことで精一杯だった私は、後からその話を聞かされた。
まったく、ひとりバカ息子はとんだ道楽ものである。

 私自身の話をすると、今まで死んでもおかしくない目に二度遭っている。
最初は学生時代。バイト先で倉庫の重いスチール棚の下敷きになったとき。
周囲の誰もがダメだと思ったものの、奇跡的に棚の隙間に体が入って無事だった。
二度目は十年前に東名高速でトラックを追い越そうとして接触して弾き飛ばされ、
白昼のハイウェイで東名の3車線を横にスピンして、左右のフェンスに2回激突した。
不思議なものでその時はパニックに陥るという感じではなく、恐怖感もなく、
妙に醒めた気分で「あっ、やってしまった…死ぬんかな?」と思っただけで、
遊園地のコーヒーカップに乗っている気分だった。
「ガソリンが漏れているから出ろ」と叫ばれて脱出し、まもなくやってきた救急車に乗って病院に運ばれたのだが、足の小指の骨にひびが入ったのと、頚椎捻挫という、これまた奇跡的な軽症で治まった。
その事故の日がなんと母親の誕生日。
事故そのものより、無残にぺちゃんこに潰れた車を見られてしまい、
「親を何だと思ってるんだ」と涙されたことが忘れられない。
ロクな親孝行はしてあげられなくとも、先にいなくなるのだけは絶対にやめよう…。
その時だけはマジに心に誓ったものだった。


 さて、その母親。大山の阿夫利神社に参拝した翌日に失くした指輪が見つかって以来、
あちらこちらの神様、仏様に参拝して回っているらしい(笑)。
改札口で待ち合わす予定が電車の中で見つけると、もう、うるさいくらいに喋る喋る。
必ず愚痴を混ぜてくるから、それを受けるこちらは大らかな気持ちでいる必要があり、
それがしんどいので、おいそれとは実家には寄り付きたくないというのがある(苦笑)。

 今回の日向薬師へのお参りは突然思いついたということで、すでに午後15時。
バスに乗り換えて最寄のバス停に着いた時は閉門の10分前。
そこから本堂への長い石段が続く。
母親を前に歩かせ、ゆっくりと後を着いていくことにする。
脚が悪いので石段と坂道の連続は厳しいだろう。
幾度も立ち止まっては、腰に手を当てて大きく息を吐く。
昇りきったと思ったらまだ道が続いているのを見ては「ほえ〜」と奇声をあげている。
そんな母親の後姿をそっと携帯の写真におさめたりしながら、
丸く小さくなった背中を見ていると、諸々と申し訳ない気分がこみ上げてくる。
「もう閉まってても、外から手を合わせればいいから」と声をかけながらも、
「だいたい何でもっと早く家を出かけない」となじるので私もそれなりに忙しい(笑)。
しかも「こっちの方が坂がなだらかじゃないの?」と柵を越えようとする。
「おーい、そこ真横が崖じゃねぇか」
…まったく、ひとりで行かせていたらどうなっていたことやら。

 日向薬師は高野山の流れを汲む寺院で、霊験あらたかなロケーション。
時間もおしていたので、長い石段に我々の他には誰もいない。
残念ながら紅葉のピークは来週になるとのことだが、
時おり色鮮やかに色づいたイチョウの木が散見される。
こういう道中では山草に詳しい人は得だなとつくづく思う。
「ずいぶんと枯れ芙蓉が多いね」「時季によっては山紫陽花が綺麗だろうね」
こういうものにまったく無知なので、この時期に椿が咲いていることも初めて知った。
(でも、もしやあれは山茶花ではなかったか…と今ふと思ったり)

 ようやく本堂に到着したときは、とっくに閉門時間を過ぎていたが、
幸いにして、お参りは出来て、蝋燭や線香も売っていた。
想像以上に立派な薬師如来像も拝むことが出来た。
母親が線香の煙を手繰り寄せて頭にかけようとするのだが、
煙が上に舞い上がるので、飛び跳ねて煙を掻いている姿にも笑わせてもらった。
帰りはなだらかなコースをゆっくりと下って停留所まで。
バスに乗ろうとしたときに、
「お父さんに、俺の分までお参りしてくれと言われてたのをすっかり忘れた」(爆)


 小春日和の一日。あたりはすっかり暗くなっていたが、
時間がゆっくりと流れている。
久々に土の匂いと木々の香りを吸い込んだ。
食欲の秋とはいうが、
旨いものなら空気だって食べる価値はある。
色づく山林の木々の香りを風に運ばせ、
小春日和で穏やかに温められた空気の旨いこと。
ちょっとだけ足を延ばせば幾らでも良い気分は味わえるのものだ。
そのちょっとがなかなか難しい。
休日の改札口にはとてつもないバリアがあるとでもいうのだろうか。


 さて、新たな職場で一ヶ月が経った。
「勤労感謝の日」というのは、勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう日。
しかし、今は働ける環境を得ている喜びの方が強い。
ひと月何とか頑張ったお祝いにと上司が就職に赤飯を振舞ってくれた。
「あずきの赤飯は豆が破れやすいので縁起ものはササゲで炊く」のだそう。
胸の中で手を合わせてありがたく戴いた。

 
 今までブログにいろいろと愚痴めいたことも書いてきたし、
それは、これからも書いていくだろうとは思う。
でも斜に構えてばかりではなく、たまには孤独ではないのだということを感謝することも必要なのではないか。
小春日和の中で思った。


author:ZAto, category:戯言, 23:29
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ぶらんぶらん


 首痛と肩こりが直らず、ブログもしばらく更新していないなどと思いながら、
湯浴みで半日を過ごし、火照りながらつらつらと晩秋の物思いに耽ってみた。

 因みに棲家の半径数キロ圏内にスパの類が7つほどあり、過当競争になっている。
さらに有り難いことに源泉かけ流しがウリのスーパー銭湯がオープンした途端に、
競合する施設が次々と掘削工事を始めたものだから、天然温泉も増えた。
泉質もそれぞれで、無料送迎バスも出ているので休日には温泉ライフが楽しめる。
火山国ニッポンはとりあえず掘れば気軽にお湯が湧き出て来るということなのか。
そうはいっても元々豊富な源泉があるわけでもなく、
かけ流しは露天に小さな湯船があるだけで、そこに押し合いへし合い状態。
浴室のほとんどをカルキ臭い白湯に「電気風呂」や「水泡ジェットバス」「座湯」「肩湯」「寝湯」などのバリエーションにサウナにマッサージ室が占めているような案配ともなると、
近々、箱根や丹沢あたりの豊潤な温泉に足を伸ばしてみたくもなるものだ。

 それにしても湯船の縁に顎を乗せてボ〜としていると、
目の前を行き交うのチ○コやキ○タマのぶらんぶらんとした群れ。
目障りで仕方がない。実にくだらん、片っ端からモザイクをかけてやりたい。
そんな、ぶらんぶらんから目を逸らしながら今の自分は一体、何者なのかと考えていた。

 人生のハードルを、ときにはくぐり抜け、ときには蹴り倒して、
結局、飛び越えることなくここまで生きている。
もう甘ったれ人生まっしぐら、毎日が好き放題なものだから、
自分の中でバランスを取りたいのか、些細なことにストレスを作り上げている。
帰宅での満員電車やちょっとした人間関係等々…。
ストレスと感じなくなる無関心さを自分の中に育ててしまうのが恐いのだ。

 寝湯で寝そべっているメタボおやじの股間が目線の一直線上にある。
胸から脚まで切れ間なく毛が生えている感じが実に不愉快だ。
こら!そこのガキ!体を流してから湯に浸からんかい!

 躊躇うことで、上手い具合にすり抜けてきた。
愛想笑いで、人を繋ぎとめてきた。
馴れ合うことで、致命的な傷を負わずにここまできた。
それなりに闘って来たような気もするが、勝ったという感慨は何ひとつとしてない。

  それにしても小さな男の子のチン○やキン○マは見事なまでにちっこい。
  小指ほどしかないから大してぶらんぶらんしない。
  あんなのがそのうち、ぶらんぶらんし始めて、悪さをおっぱじめるというのか…。

 人は叩かれると本当に強くなれるのだろうか。
打たれ強くなるのではなく、痛みを最小限に抑える知恵がつくということではないのか。
今まで散々と叩かれてきたし、ひどい目にも遭ってきた。
その点であまりにも自分は無防備すぎたのかも知れない。
でも少しも強くなどなっていない。むしろ弱ってきている気がする。
結局、まともな修羅場から逃げ回っていたので何ともいえないのだが。

  なぜ髪を洗いながらシャンプーを飛ばすのか。
  なぜタオルを湯につけるのか。
  礼儀を知らないというよりも銭湯慣れしていない奴が多すぎる。

 かつて「無気力」「無関心」「無責任」を三無主義などと呼んだ時代があった。
さしずめ自分は「妥協」「打算」「惰性」の三だ主義者だ。
自分の思い通りに行かないとき、
世の中のせいにするのも癪なので、結局、人のせいにしてしまう。
それでいて、騙されたとき、「騙すよりマシだ」などと自分を誤魔化している。

  じいちゃんのは○ンコと○ンタマの区別がつきにくい。
  ちょっと昔には泣かせた相手もいたのかもしれないが、
  今は三位一体となってぶらんぶらんと垂れ下がっている。
  隣にいる小さいのは孫だろうか。湯煙に霞む「使用前」「使用後」の図なり。

 自分を批判しすぎているのかもしれない。反省はしないくせに。
必要以上に自分を卑下しているのかもしれない。人にいわれたら腹立つくせに。
そして、そんなことを思っているうちに言葉の遊びになっていることに気がつく。
しばらくは何も考えずに38.6度のヌルめの源泉に浸かっていよう。

 晩秋の湯に物思いに耽ってみても仕方がないこと。
なにせ、目の前を行き交っているのはチ○コやキ○タマのぶらんぶらんなのだから。




author:ZAto, category:戯言, 05:03
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