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映画 『 人生の特等席 』
 
 長年メジャーリーグのスカウトマンとして辣腕を振るってきたガスは頑固一徹の男。
しかし年齢のせいか視力が衰えはじめ、球団本部から契約の打ち切りを打診されていた。
一方、家庭を顧みない父との間にわだかまりを感じ続けてきたひとり娘のミッキーは、弁護士としてのキャリアが試されている中、父親の最後になるかもしれないスカウトの旅に同行することを決意する。

人生の特等席

 監督としてクレジットされていないイーストウッドを観るのは何年ぶりだろう。
アルパソプロの製作であり、プロデューサーも兼任しているので、完全にアクターとして素材に徹したわけでもないだろうが、少なくともイーストウッドが演技者としてガス・ロベルの役を楽しんでいることは画面から伝わって来る。
長年のファンとしてはもうそれだけで満足だ。
確かにイーストウッドの監督作品みたいな人物の深みも、映像の奥行きもやや薄いのかもしれないし、締めくくり方もかなりご都合主義的なところもあったと思う。
妻を亡くし、男手ひとつで育てようとして育てられなかった父に確執を抱いていたわりには、ガスとミッキーの親子関係がよほど親密でなければ成り立たない場面もある。
♪You're my sunshine〜の歌も然り、ミッキーの野球眼と実際の野球実技もそうだ。
6歳の時のある出来事がきっかけに父娘はほとんど没交渉だったのだとすれば、やや矛盾があるように思えるのだがどうなのだろう。

 でも、いい映画だった。
アメリカは父性の国だといわれているが、頑固者を描くとき野球は絶好のアイテムだ。
マネー・ベースボール理論が脚光を浴びる現代であっても、アメリカ人にとって打球音が轟く野球のグランドには郷愁があり、父子の絆を確かめる聖域なのだろう。
シネコンの完全入替え制という無粋なシステムさえなければ、もう一度観てもよかったし、何となくグラブの革の匂いを嗅ぎながら、誰かとキャッチボールをしたくもなった。
この感覚は 『フィールド・オブ・ドリームス』 を観終わったときに似ていたようにも思う。
もちろん 『人生の特等席』 は、はっきりと「野球映画」ではない。
しかし、父と子が絆を取り戻すという語りつくされたテーマの中で、野球へのオーマージュが随所に込められていたのが、個人的には嬉しかった。
おそらく主演イーストウッドであて書きしたような脚本なのだろうが、かといってイーストウッドのワンマン映画にもなっていないのは、知的で負けず嫌いだが、決して大人の女として完璧じゃないミッキーを演じたエイミー・アダムスによるところが大きかった。
今後、作品に恵まれさえすればメリル・ストリープの域にまで成長するのではないだろうか。

 今世紀に入ってからそれほど経ったわけではないが、
私は四年前の 『グラン・トリノ』 は今のところ21世紀最高傑作だと思っている。
そしてあれはクリント・イーストウッドの監督・主演でないと成立しなかったという点で、驚くべき傑作だった。
強靭な頑固一徹親父(爺)の幕引きが俳優としてのイーストウッドの幕引きとオーバーラップしてかなり感傷的な思いで 『グラン・トリノ』 のフィナーレを観たものだったが、
そのイーストウッドが人に演出を委ねる形でスクリーンに還って来たのはかなり意外だった。
CSで放映されていた『ローハイド』のクレジットにテッド・ポストの名を見つけたとき、イーストウッドの義理固さに感心してしまったように、『人生の特等席』 で監督デビューとなったロバート・ロレンツが長年、アルパソプロのプロデューサーをやっていたというから、愛弟子の門出に体を張ったのだとしたら、それはイーストウッドらしいと思った。
そう 『グラン・トリノ』 で自らの履歴を総決算したイーストウッドにとって、同じ頑固爺を演じても、それは決してウォルト・コワルスキーの世界観と同じ脈絡になることはない。
あくまでもガスという老人のキャラクターを演じたのであって、そこに自身を投影したわけではなく、だからこそ眉間にシワを寄せて偏屈なガスを演じていてもイーストウッドは随分と楽しげだった。
そう思わなければミッキーに会心の一撃を浴びて、ダイヤモンドを一周する娘に笑いかけた、あのチャーミングな笑顔の説明がつかないではないか。



2012.11.23 TOHOシネマズ海老名


author:ZAto, category:映画, 23:59
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