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映画 『 悪の教典 』
 
 ハスミンというニックネームで呼ばれ、生徒たちから圧倒的な人気と支持を集める高校教師・蓮実聖司。
生徒だけでなく、ほかの教師や保護者も一目を置く模範的な教師だったが、その正体は他人への共感や良心を持っていない反社会性人格障害者だった。
その異常性格が発覚しそうになったとき、蓮見はクラスの生徒全員を抹殺する決意を固め、実行していった・・・!
悪の教典 まずは結論をいう。つまらなかった。
何故つまらなかったのかといえば、あまりにも単調すぎた。
何が単調だったのかといえば、全体的に工夫が足りない。
何の工夫が足りないのかといえば、
同じ展開のリプレイを繰り返し見せられて退屈だった。
以上、おしまい。

 って、こんなレビューではさすがに「映画化は絶対に出来ないつもりで書いた」と語った貴志祐介にも、「蓮実聖司を愛するものとして」と題して文庫本に解説を添えるほど入れ揚げていた三池崇史にも失礼だろうか。
しかし真面目に三池崇史監督 『悪の教典』 についてのレビューを書こうとすると、
「映画と原作はまったく別モノ」という私の持論を曲げなければならない事態になりそうで困る。
ただでさえ、この週末は原作の映画化作品を三本続けて観て、結局、「原作と映画化」の呪縛から逃れられていない。
『のぼうの城』は「あらかじめ映画化を前提とした」原作があり、『黄金を抱いて翔べ』 は「映画化は考えなかった」原作があり、この 『悪の教典』 には先述の通り、作家が「とても映画にはならないだろう」と踏んで書かれた原作がある。

 では「映画と原作はまったく別モノ」なる持論をここで箇条書きにして確認しておきたい。

一、まず大抵の場合において読書に要する時間よりも、映画の上映時間は短い。
ニ、日常の中で割いた時間の大小はかなり評価に影響する。
三、原作を読みながら、既にその人にとって最高の映像が頭の中で作られている。
四、その映像は予算に上限はなく、ありとあらゆるキャスティングが可能となる。
五、長編小説の場合は2時間足らずの枠に収められないので大概は端折られる。
六、原作は読者ひとりひとりの思い入れの中で完結するが、映画は不特定多数を相手に一定の満足度を目指さなければならず、最大公約数的になり勝ちとなる。
七、そもそも映画は小説の挿絵ではない。

 以上は「原作と比べると映画は物足りない」といわれることへの反証でもあるのだが、
不思議な話、あまりにも原作に感じたイメージ通りの映画を作られると、かえってつまらなく思う場合がある。
いや、読者は一度頭の中で映画を作ってしまっているのだから、それをなぞられても退屈に思うのは当然か。
映画は原作の再現フィルムではないのだ。

 しかし 『悪の教典』 はまず忠実な再現フィルムにはならない。
私が読んだ原作はニ段組700ページのぶ厚い新書版だった。
そのボリュームを2時間にまとめ、しかもクライマックスの殺戮シーンに40分もの時間を割くのだから、脚本も手掛けた三池崇史としては、この原作のどこを捨てるかという作業になる。
ありがちな手として複数のキャラクターを一人にまとめてしまうというのがある。
映画で山田孝之が演じた体育教師がなどはそうだろう。
間引くべき人間は間引いてしまって、登場人物をタイトに絞るのは鉄則だ。
さらに必要に応じてエピソードをスパッと切る。
中途半端につまみ食いするくらいなら丸々切ってしまった方がいい。
吹越満の釣井教諭が犯す妻殺しと校長のエピなどがそれに当るのだろうか。

 ・・・って、ちょっと待てよと。
さっきから「映画と原作はまったく別モノ」と書いておきながら、思いっ切りそのことばかり書いているではないか。
思えばあまりの面白さに、あのボリュームを一気読みしたのが二ヶ月前。
「別モノ」と割り切つて、真っ白な状態で映画 『悪の教典』 を観るには、まだまだ原作の記憶が生々しすぎる。
逆に、まったく内容を知らないまま、この映画を観る人の気分が想像出来ない。
本当はそういう気分にならなければいけないのだが、多分それは無理だ。
もしかしたら、映画によって 『悪の教典』 に初めて触れたのだとすれば、「単調でつまらない」 「工夫が足りない」などという感想は出てこなかったのかもしれない。
それでは本末転倒もいいところで、「語るに落ちる」とはまさにこのことだ。

 しかしそれを割り引いても40分の殺戮場面は退屈過ぎるのではないだろうか。
まず散弾銃で殺しまくる蓮実と、殺されるがままの生徒たちの関係がひどく単純だ。
校舎という階層のある密閉した空間が生かされていない。
階段は出てくるがワンフロアにしか見えないので、生徒の視点からサイコパスがすぐそこに迫っているという恐怖が今ひとつ希薄なのだ。
原作では(と、また書いてしまうが)、机をジグザグに築いたバリケード、エレキギターによる感電、階段に油を撒いた罠、AEDによるドンデン返しなど、とかく単調になりそうな場面を蓮実と生徒たちの攻防をバリエーション豊かに引っ張っていたが、映画ではそこまでやる余裕はなかったのかも知れない。
確かに大勢の生徒たちの弾着をつけての一発勝負は並大抵のことではなかっただろうが、アクションやバイオレンスに定評のある三池崇史にしては、随分とつまらない画を撮ったものだと思う。

 ハスミンを演りきった伊藤英明については、サイコパスであっても全編、カッコをよく爽やかでなければならないので、自然演じられる役者は限られてくる。
不気味過ぎても、大芝居になり過ぎても困るとなれば、まぁ適任だったのではないか。
ただ三池崇史の「アンソニー・パーキンスか伊藤英明か」は大袈裟だったと思うが。



2012.11.11 TOHOシネマズ海老名





author:ZAto, category:映画, 23:59
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