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映画 『 終の信託 』 
 
終の信託 不倫関係にあった同僚医師に裏切られ、自殺未遂を起こしてしまった呼吸器内科の医師・折井綾乃。
重度の喘息患者・江木泰三に心の傷を癒される中で、互いに惹かれ合うものを感じるが、病状が悪化の一途を辿っていた江木は「最期のときは先生に早く楽にしてほしい」と、綾乃に願いを託すのだった。

 ポスターのメインコピーは
-----“ 医療か? 殺人か? ” -----
しかし、果たして周防正行はそんな社会派の映画を撮ったのか。
私にはどうもそれは違うような気がしてならなかった。
そういう事件性よりも、もっと根源的な不条理というか、
「草刈民代の生理の中で世の無常観を描いた映画」
何となくそんな感じを抱きながら、エンドロールを眺めていた。

 もちろん痴漢か冤罪かを描きながら、司法権力の硬直さを追及した前作『それでもボクはやってない』は完全な告発映画で、周防にそういう素養があるのは認める。
しかし過去のフィルモグラフィにおいて、ロック青年に僧侶の修行をさせ、相撲部の滑稽さを描き、サラリーマンが社交ダンスに目覚める映画を撮ったのと同じ脈絡で、あれは痴漢の被疑者となった青年が有罪に処せられるまでを丹念に積み重ねながら、なかなか知り得ない司法システムを興味深く見せたエンターティメントだったと思っている。
そう、告発映画といっても周防正行は熊井啓的な価値観にはならない。
馴染みのない世界を面白おかしく描く作風といえば、伊丹十三という先達者がいる。
周防は『マルサの女』のメイキングビデオをヒットさせた実績から、彼は伊丹の継承者だというのが私の評価だった。

 しかし『終の信託』は今までの周防作品とまるで違う。
まず『Shall we ダンス?』ではお人形さん扱いとしてのみ存在していた草刈民代を徹底的に追い込んで見せる。
セックス場面では乳房を晒し、嘔吐の場面では吐瀉物まで見せ、まぶたが腫上がるほど泣き喚かせる。
草刈は全編ずっと目の下の隈と、加齢から来る顔の弛みを隠そうとしない。
まるでかつて新藤兼人が妻の乙羽信子に設えた試練を彷彿とさせるほど徹底的ぶりで、
折井綾乃という役柄よりも草刈民代の生理を全編に渡って見せられた気分だった。
まず草刈民代は演技が下手。台詞回しも驚くほど拙い。
それでも表現者としての豊富なキャリアで、決して流暢ではない台詞回しが新劇出身の女優では表現できないリアルさを醸し出す。
台詞の掛け合いでは役所広司がリードしている感じだったのが、
次第に草刈の醸すリアルさに役所が受けに回っている風さえ窺える。(それが出来る役所広司も改めて巧いと思った)
また、冷徹な検事を演じて助演男優賞ものだった大沢たかおも、ある意味、草刈のリアルと対峙したことで、あの圧倒感が生まれたのではないかとさえ思う。

 そもそも周防は原作ものを手掛けるのは久々ではないだろうか。
周防は小説のページを開いた瞬間から映画化への道筋を予感したのだという。
どの段階で折井綾乃に草刈民代という発想が閃いたのかどうかはわからないが、
久々に映画監督が主演女優との関係性の中で、監督が女優に負荷を与え続けることによって虚飾を剥ぎ取り、高みへと昇りつめていくような映画を味わうことができた。
綾乃に残されたものは終末医療の倫理観でもなければ、検察当局の不条理などでもなく、
地位も愛も失った徒労感ではなかったか。
江木との約束を果たした安堵感があるのだとすれば、それが彼女にとって唯一の救済となるのだろう。

 周防が敬愛する小津安二郎の映画に『小早川家の秋』という作品がある。
あの映画のラストで小津がこめた無常観に『終の信託』は肉薄していたのではないか。
デビュー作のピンク映画『変態家族・兄貴の嫁さん』で、小津映画へのオマージュを捧げて冒頭から爆笑させてもらったが、とうとうそこまでの映画監督になったのかと思うと感慨深い限りだ。
人それぞれ好みはあろうとも、私は『終の信託』を周防正行の最高傑作だと信じている。



2012.11.6 TOHOシネマズ錦糸町




author:ZAto, category:映画, 23:59
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