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映画 『 四畳半襖の裏張り しのび肌 』

 「男も女もアレしかないんよ、バンザイ」
芹明香がぶっきらぼうに叫んで、映画はぶつ切れのように幕を下ろす。
渋谷・円山町、23時 ------。
映画館の暗闇からいきなり若い奴らの嬌声がかまびすしい道玄坂へと放り出されるのが嫌で、ラブホテル街から裏道を通り抜け、京王線の神泉から道玄坂に戻って渋谷駅のターミナルに辿り着く。
太鼓持ちを目指し猥歌の練習に励む正太郎の「ででんでんでんでん」というリズムがまだ耳に残っていて、それが眩い都会の光に邪魔されずに済んだのが心地よかった。

s_kuma.jpg 1974年製作日活ロマンポルノ『四畳半襖の裏張り/しのび肌』。初めて観る。
何の気なしに渋谷駅で途中下車した段階では、まさかこの映画を観ることになるとは思ってもいなかった。
渋谷のユーロスペースの前で「今夜21時15分レイト上映」の小さな告知をよくぞ見つけたものだと思う。
監督・神代辰巳。この人の映画を最後に映画館で観たのは『恋文』以来ではないだろうか。そうなるとほぼ30年近くの邂逅となる。
いや、ここで神代辰巳を、日活ロマンポルノを懐かしむ方向へ流れ出すとキリがないので止めておくが、要はノンポリのバスケ少年を中途半端にドロップアウトした大人にさせた張本人のひとりだということはここに書き残しておきたい。

 舞台は大正末期から日中戦争が勃発する昭和初期まで。
同じ旦那を持つ染八から赤ん坊を連れ去り、関東大震災のどさくさで自分の子として育てるところから物語は始まる。
「ちょっと旦那さん、あんまりじゃありませんか・・・」と蓮っ葉に拗ねる宮下順子の台詞回しにまずゾクっとさせられる。蚊帳越しの蒲団に包まっての情交は何でもありのAVとは比較にならないスケベを感じるのは、私がおっさんになってしまったからなのか。
とにかくそのものズバリがいとも簡単に閲覧できる時代にあって、ロマンポルノの秘められたエロチシズムのなんと芳醇なことだろう。
なにより画面の随所にこれがメジャーな撮影所で生まれた劇映画である実感に満ちている。
メインタイトルのバックである桟橋のロングショットを名カメラマン・姫田真佐久が目を奪うような構図で捉えれば、昭和初期の置屋のセットや調度品など美術、小道具など、活動屋たちの丁寧な仕事には感動を覚えるぐらいだった。

 さて、正太郎と名づけられた子供は置屋の息子として育っただけに早熟。
他の芸者の布団に潜り込むが、皆「まだ子供だから」と黙認しているうちに、芸者の小ふくお腹が膨らみ、手を焼いて預けた映写技師の奥さんの腹も膨らましてしまう。
小ふくは子供を産み育てるため、花清の旦那である小宮山に水揚げしてもらうことを決意し、花清はまたも心穏やかではなくなる・・・。

 こんな展開で、中島丈博の脚本は全体的に艶笑喜劇という体裁をとっているのだが、神代辰巳は戦火が広がる不穏な時節に男と女の情欲の高まりを通して時代を炙り出していく。
そして田坂具隆監督の『土と兵隊』の戦場で泥まみれで闘う兵隊の映像を背景に、とんでもないスケベを描くという、かなり大胆な領域まで突き進んでいく。
一見するとキワモノとも、崇高な反戦映画とも思えてくるが、戦場を駆け巡ろうがなんだろうが、結局、男と女のスケベで人間は成り立っているのだという神代テーゼがすべてご託を凌駕してしまっている気さえしてくる。
確かに性描写自体は何でもありの今とは比べるべくもないが、おそらくセックスの大らかさを戦争と対比して相対化してしまう手法は現在では許容されないのではないだろうか。
自分の実感からも確実に70年代は今より遥かに自由だった。

 ついでにいってしまえば、私が原田芳雄の遺作となった坂本順治『大鹿村騒動記』を全然評価していないのは、土着の「生」や「祭り」をテーマにしながら、「性」をまったく描けなかった点にある。
 
 
 
2012.9.10 渋谷ユーロスペース


author:ZAto, category:映画, 23:28
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