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映画 『 J・エドガー』
 
J・エドガー
 レオナルド・ディカプリオが主人公の20代から77歳までを演じ、話題となったクリント・イーストウッド監督作品で、相変わらずスクリーンを見つめる観客たちの息遣いを見計らうように、カットを積み重ねていく手腕はお見事。
しかし『ミリオン・ダラー・ベイビー』や『父親たちの星条旗』、そして何といっても『グラン・トリノ』で観客を魅了してきた近々の諸作品と比べると、やや違和感を覚えてしまったことを白状しなければならない。

 48年間で8人の大統領に仕えたFBI長官のジョン・エドガー・フーバーは、人生の終盤に差し掛かり、部下に命じて回顧録を書き取らせるのだったが・・・。

 当然、イーストウッドのことなので、ジョン・エドガー・フーバーの回顧に合せて画面を作っていくような安易な手法はとっていない。
記憶はFBI誕生以前へと遡り、彼の表向きの経歴が語られるとともに、その裏側の野望、企み、葛藤、苦悩が次第に明らかにされていくといった具合に、時にはフーバーの回顧を裏切るような映像を展開させていく。
決してFBI長官のジョン・E・フーバーの伝記に縛られるのではなく、あくまでもJ・エドガーとして映画は自在に謎多き人物像を突き詰めているのだが、そこで合衆国の近代史を彼の人生を借りて浮かび上がらせようとしたのであれば、それは意図したほどは巧くはいっていなかったと思う。

 ひとつはイーストウッドが巨匠すぎることにあり、大人すぎることにある。
せっかく特殊メイクを駆使してディカプリオが熱演をしているのだから、この題材はもっとポップに跳ねさせてもよかったのではないか。
共産主義を口汚く罵倒し、デリンジャーは俺が仕留めたのだと虚勢を張り、キング牧師を罠にかけようとした男の危うさや狡猾さをもっと前面に出すべきで、引いたところから冷静に人物をフォーカスするのではなく、ディカプリオの完全スター映画になるのも厭わずに、もっと寄って、もっとエキセントリックな映画にすべきだったと思うのだ。
ディカプリオもナオミ・ワッツもかなり頑張っていたのだが、結局はイーストウッドの冷徹な演出の中にスポイルされてしまっている。それが今回の映画に限っては残念だった。
イーストウッドはインタビューで「完璧なエドガー像は、観客の解釈が加わって完成するものだ。同じ絵画を見ても解釈が人によって違うように。観客はこの映画からそれぞれ自分なりの完璧な結論を見い出してくれるはずだ。私は答えを出すのではなく、疑問を投げかける映画が好きだ。」と語っている。
その演出論は裏目に出たのではないかという気がしてならない。

 そして、それ以前の問題として日本の観客にとってジョン・エドガー・フーバーなる人物に殆ど馴染みがないことも恨めしい。
彼の自宅に飾られた無数の甲冑や日本刀。最愛の母を亡くし、強さを象徴する武器に精神的に守られようとしていた心情は痛々しいくらいで、マザコンであり、ホモセクシャルな側面もしっかりと描いているのだが、アイゼンハワー、デリンジャー、ジョージとロバートのケネディ、リンドバーグ、キング牧師、ニクソンと主人公の周辺の賑やかさから、この人物の存在感や影響力を想像していかなければならない作業がなんとももどかしかった。



2012.1.29 TOHOシネマズ海老名




author:ZAto, category:映画, 23:59
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