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映画 『 ロボジー 』
 
 弱小家電メーカーの窓際三人の技術者が新型ロボットの開発に失敗し、その場しのぎで中に老人を入れてロボット博に出場したことから巻き起こるコメディ。
もし監督・脚本が矢口史靖でなかったらまず観ないだろうという内容ではある。

 新作の『ロボジー』で目指したものは「工学系コメディ」か。
相変わらずの矢口節とでもいうのか、どこか箍(たが)が外れた独特のユーモア感覚で楽しい映画に仕立てたとは思う。
しかし私が前作の『ハッピーフライト』のレヴューで「そろそろトリビアとは違う矢口のアプローチも観てみたいものではある」と書いた無いものねだりは今度も叶えられなかったようだ。
矢口はこの映画を撮るにあたり「人がひと皮剥くと中はロボットだったという映画はよくあるので、ロボットがひと皮剥いたら人が入ってたという方が良いんじゃないかと、今回の映画が思いついた」と語っている。
ロボジー
 確かに矢口史靖は「怒り」や「悲しみ」といった自身の情動をフィルムに燃焼させるタイプの映画監督ではない。次回作を企画するときも「恋愛の深淵を描く」ことや「青春の焦燥を描く」という発想ではなく「次はどの業界を描こうか」「まだ映画が取り上げていない隙間があるのではないか」といった題材探しに腐心するのだと思う。
あるいは『ウォーターボーイズ』からフジテレビのバックアップがつき、よりコマーシャリズムの先端へと突き進むことに自らの監督人生を確立しようとしているのかもしれない。
まあそれはそれでいいのかもしれない。見つけた題材をいかに面白くエンターティメントに昇華させてヒット作を作っていく才能も十分に個性の内なのだから。

 しかし語り口の上手さは相変わらず冴えている。
偏屈な老人に翻弄される三人組と、ロボットおたくの快活な女子大生に翻弄される三人組。
結局、常にエキセントリックなキャラクターの扇の要には彼ら三人組がいることになる。
すぐに状況に流される彼らは、良くいえばほっこりとさせて微笑ましいが、悪くいえばかなり優柔不断でじれったい。
思うに、実際、弱小電器メーカーの窓際エンジニアは概ねこんな感じなのだろう。
見方によっては彼ら三人の成長物語にもなっているが、それが押し付けがましくなく、木村電“機”ではなく木村電“器”という名称がいかにも白モノ家電を扱っているメーカーらしく、ロボットに名づけられた「ニュー潮風」という名前も洗濯機かエアコンの商品名に相応しい。
鈴木老人が家族や老人会で疎まれながら思いっ切り偏屈出来るのも、葉子が“製作者”の影を気にしないでニュー潮風に恋してしまうのも、彼ら三人組の存在感の薄さの賜物だろう。
でも濱田岳もチャン河合も川島潤哉も脇役ではない。間違いなく主役だった。
こういう引っ込んだ存在感を邪魔にならない程度に前面に押し出す術を矢口は心得ている。

 おかげで鈴木老人を演じた五十嵐信次郎と、葉子を演じた吉高百里子はキャラクターが立ちまくる。
意外だったのは矢口の書いた脚本はこの二人をあて書きしたものだと思っていたのが、五十嵐信次郎も吉高百里子もオーディションで選出したのだという。
決してミッキー・カーチスを五十嵐信次郎としてキャスティングするというアイデアありきの企画ではなかったようだ。
考えるまでもなく鈴木老人はロボットの中に入ることで名声を勝ち得たわけではない。
老人会で自慢したくても周囲の苦笑を買うのみだ。
しかしニュー潮風として孫たちと撮った記念写真が人生最後の宝物となる。
正体を明かしたい欲求を抑えたのは正しい大人の判断で、なかなかいい場面になった。
そのニュー潮風に疑問を抱いた葉子が、木村電器の面々の足取りを追跡する場面。
吉高百里子という女優のテンションの高さが画面一杯に駆けめぐる。
あの『ひみつの花園』のヒロイン・西田尚美の守銭奴まっしぐらのテンションを思い出す矢口ファンも少なからずいたことだろう。

 矢口史靖の作品発表のペースを思うと、次回作は2〜4年後になるのか。
次は一体何を狙っているのか興味は尽きない。
しかし、また話を戻してしまうようだが、これだけ語り口の上手い映画作家なのだから意趣返しにシリアスな犯罪ドラマを一発かまして矢口ファンを唖然とさせるというのはどうだろうか。




2012.1.16 TOHOシネマズ渋谷


author:ZAto, category:映画, 23:59
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