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命、ひとつひとつ

 とんでもないことかもしれないが、正直に書く。
今朝まで、東北地方太平洋沖地震による死亡者は8649人と発表された。
途方もない数の犠牲者であるが、この度の震災では数に鈍感になった自分がいる。
これが16年前の阪神大震災のときはどうだったろう。
崩壊した家屋の瓦礫から埋もれた遺体が出てくるたび、増えていく死亡者数を驚愕の思いで見守っていた。
今度の地震にはその驚愕の思いが薄い。
警察に届出があった行方不明者が1万2887人。
おそらく、届出もされないままの安否不明者も多いはずだ。
だから、まだ8649人の死しか認定されていないのか・・・と思う。
その内、身元が確認された遺体が4080人。
痛ましい限りでも、それは家族の元へ帰ることが出来た人の数だと思ってしまう。
そもそも「万単位の死亡者になる」といわれてから一週間が経つ。

 地震の翌日、私たちは想像を絶する津波の猛威を映像で目の当たりにした。
陸前高田、釜石、名取、気仙沼、石巻、南相馬・・・。
堤防をあっさり乗り越え、家や田畑を次々と蹂躙していく様は本当に凄まじかった。
津波は大きな波が襲いかかるのではなく、海そのものが街にやって来るものだと知った。
ニュース映像は衝撃の瞬間を繰り返し、それを世界中に発信していったのだが、
ヘリや高台から俯瞰で撮られた映像には逃げる車は映っても、人の姿はない。
そこに映されたのは、奪われていく命より、ただ、特撮映画の一場面のように家屋をなぎ倒す映像のインパクトが優先されていたような気がする。
いや薄々ながら、命が奪われていることを知りながら、想像を止めていたのかもしれない。
だからNNN系で高台へ逃げる人々の目線でとらえた映像が出たときは、本当に怖かった。
陸前高田の消防士が撮った映像には、「逃げろ!逃げろ!」と叫ぶ声の中、足を止めて背後から山のように襲って津波を見つめているおばあちゃんの姿がいた。
すでに街が一瞬のうちに津波に呑み込まれる高台からの俯瞰映像を見ていたので、我々は荷物を担いで逃げていた人々の大半の命がおそらく失われたであろうことを知っている。
職場で震度5を体験し、帰宅難民となったところで、私は震災の当事者ではない。
高台からとらえた津波映像を、さらに俯瞰しながら命が失われていく様を実感しないまま唖然と眺めていた傍観者に過ぎない。

 この度の震災がえげつないのは、地震で助かったことを家族に伝えようと時間を取られている間に津波が襲ってきたこと。
だから肉親とかわした最後の言葉が「怪我もなく、無事だよ」だった被災者も多い。
阪神大震災と違って、崩壊した家屋の下に遺体がなく流されてしまっているのだ。
こうして命は家族の元へ帰ることなく何処かへ漂流している。
陸前高田を故郷に持つ職場の先輩は、お姉さん夫婦の安否がまだ不明だというが、
遺体が安置された体育館には身元の確認をする家族で長い行列になっていたらしい。
肉親の遺体を確認する作業は想像を絶するが、少しでも早く見つけてあげたいのだという。
そういう話を聞くと、途端に津波映像では感じなかった「命」の存在が胸に迫ってくる。

 中島みゆきに『命の別名』という曲がある。

くりかえす悲しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を “心” と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

 失われた8649人の命のひとつひとつに思いをめぐらせることなど絶対に出来ない。
まだ家族にめぐり逢えないまま漂流する1万2887の命にも生死の物語があるのだろう。
しかし、食事も生活物資もままならない避難所で、老いた母親は「息子からの生きているという便り」がいちばん欲しいという。
その避難所の中でさえ失われていく命もある。
命どころか、私には避難所の生活さえも想像するのは難しく、
数で語られる死亡者数、行方不明者数、避難住民数には鈍感であり続けるだろう。
しかし被災した病院で新たな命が誕生したニュースもある。
80歳の祖母と16歳の孫は、被災から9日間も命を繋ぎ続けた。
過酷な原発事故の現場で命をかけて懸命の作業にあたる人たちもいる。
避難所で過ごす妻は原発で働く夫から「がんばれ」というメールをもらい、
「生きて帰ってきてください」と返したという。

 危機管理の不備、責任の所在、原発の是非など、考えたいことは沢山ある。
しかし津波映像を唖然としながら傍観してしまった私は、
しばらく、命のひとつひとつから目を逸らしてはいけないのではないかと思い始めている。


author:ZAto, category:戯言, 12:20
comments(2), trackbacks(0), pookmark
Comment
人はなぜ生まれてくるのだろうか?
どうして意思とは関係なく死ぬのだろう?
長い時間を費やしても答えが出ないので諦めることにしている。
ハッキリしているのは、ここにオイラがいるということ。
そして、そこにあなたがいるということ。

もし本当に神様がいるのならこの震災で無念にも亡くなった人たちを生き返らせてあげたいくらです。
それが無理なら映画『黄泉がえり』であったように死んだ人が少しの間でも家族と過ごせる時間を与えたい。
そう思っても(願っても)いいだろう!
安らかに眠られることを祈っております。
しんじろう, 2011/04/15 11:58 AM
しんじろうさん今晩は。

行方不明者なんか、これを書いていた時よりも増えているんですよ。
家族が被災した職場の先輩にいわせると、命が戻れとはいわないから、せめて亡骸が戻って欲しいというのが切実な思いだったそうですが、それもすっかり諦めているようです。

確かに原発も不安ではありますが、今、原発の是非などとやかくいっても仕方がない。
とにかく今は復旧作業に命を張っている人たちに託すしかないわけで、
いよいよダメとなったらそのときはそのときで考えます。

それよりも現実に失われた命の膨大さに、今は冥福を祈りたいですね。

ZAto, 2011/04/16 3:46 AM









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