RSS | ATOM | SEARCH
INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜両国国技館
 
8.27イノキゲノム両国 「27日にプロレス行こう」。
今週になってからプロレス者のKさんから突然のお誘いがあった。
もちろん、往年のプロレス者としてはスケジュールが空いていれば断る理由などないのだが、問題はこの日、日本武道館で新日本、ノア、全日本のメジャー3団体合同主催のオールスター戦が開催され、一方でIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)が両国国技館で興行を打つこと。どちらも東日本大震災の復興支援興行になるという。
国技館と武道館の同日興行は今までもなかったわけではないが、一番有名なのはG馬場が武道館で「力道山十三回忌追悼興行」を主催した時、A猪木は蔵前国技館でビル・ロビンソン戦をぶち上げた。所謂「隅田川決戦」といわれるプロレス史に残る興行合戦。
あの時、私はまだ中学生で、翌日の東京スポーツの一面は見事に猪木が奪取したことを記憶しているが、あれから35年、猪木がまた仕掛けたわけだ。
国技館と武道館。当初、Kさんはどちらに誘ったのかメールでは明らかにしていなかったものの、ここは阿吽の呼吸という奴だったか。プロレス者のS氏ともうひとりプラスαも誘い、このメンバーではおそらく十年ぶりくらいとなるプロレス観戦と相成った。

 正直申し上げてプロレス興行として純粋性や祭典としての一体感、現在進行形のプロレスを求めるならば武道館の方に行くべきだったのかもしれない。
国技館はバックボーンもよく知らないファイターたちと、K−1からのトウの経った大物たちによる取ってつけたような怪しげなカードが並ぶ。
しかし私も今更プロレスらしいプロレス興行よりも、怪しさ満点でもゴツゴツとしたハプニングの匂いが漂う方を選びたい。もっといえばよりスキャンダラスな方向に引きつけられてしまう。これはもう長年の猪木信者の性としかいいようがない。
結局まともにプロレスを観なくなって十年近くなってしまうと、プロレスの「現在」を知ってどうするのだという思いも強かった。

 以下、2011年8月27日両国国技館の全カードと試合結果をざっと書き残す。

---------------------------------------------------------------------------------
■第1試合 シングルマッチ
定アキラ[時間切れ引き分け]松井大二郎
---------------------------------------------------------------------------------
■第2試合 IGFキックボクシングルール
○木村秀和[3R判定]●MASASHI
---------------------------------------------------------------------------------
■第3試合 柔術vsキックボクシング
○タカ・クノウ[腕十字固め]●バル・ハーン
---------------------------------------------------------------------------------
■第4試合 シングルマッチ
○ケンドー・カシン[雪崩式跳びつき十字]●ブラックタイガー
---------------------------------------------------------------------------------
■第5試合 シングルマッチ
○ボビー・ラシュリー[両者リングアウト]●エリック・ハマー
---------------------------------------------------------------------------------
■第6試合 レジェンドスーパースターズマッチ
藤波辰爾[時間切れ引き分け]ミル・マスカラス
---------------------------------------------------------------------------------
■第7試合 シングルマッチ
○蝶野正洋[STF]●長島☆自演乙☆雄一郎
---------------------------------------------------------------------------------
■第8試合 シングルマッチ
○小川直也[レフェリーストップ]●澤田敦士
---------------------------------------------------------------------------------
■第9試合 シングルマッチ
○レイ・セフォー[反則]●モンターニャ・シウバ
---------------------------------------------------------------------------------
■第10試合 シングルマッチ
○鈴木秀樹[体固め]●ハリー・スミス
---------------------------------------------------------------------------------
■第11試合 シングルマッチ
○ピーター・アーツ[TKO]●鈴川真一
---------------------------------------------------------------------------------
■第12試合 IGFチャンピオンシップ
○[王者]ジェロム・レ・バンナ[KO]●[挑戦者]藤田和之
----------------------------------------------------------------------------------

 ミル・マスカラスはもうじき70歳になる。
それでも昭和のプロレスファンは暗転した会場に「スカイ・ハイ」が流れた途端にグッと身を乗り出してしまう。
もちろん“仮面貴族”のマスク越しから覗く顔は明らかに年寄りだし、当然のことながら上腕から肩にかけての肉は削げ落ちている。それでも、きちんと上半身を脱いでリングに上がったのは立派。プライドの高そうな佇まいは健在で、誰がどう見てもマスカラスであり、それ以外の何者でもないところが嬉しかった。
対する藤波辰爾とて58歳。こちらも十年前の藤波との差異はあまり感じられなかった。もちろん70歳の相手との比較で若く見えたことは否めなかったのかもしれないが、藤波もついに猪木の引退時の年齢を超えてしまったのかと思うと、それも感慨深い。

 フライング・クロスチョップ、フライング・ボディアタックと、確かにマスカラスは跳んだ。
もともとマスカラスは全盛期から、決まった技を繰り出せば完結出来るレスラーなので、飛行高度さえ問わなければマスカラスの試合として十分に成立していた。
場外に逃れた藤波にブランチャを試みようとした場面で、もちろん飛ばないことは多くの観客が分かっているし、藤波がマスカラスをフルネルソンでとった場面も、ここからドラゴンスープレックスで投げることなどありえないことも知っている。
しかしマスカラスも藤波も一旦腰を落として観客をどよめかせた。
いや観客がどよめいて見せたというべきか。
幻のままで終わらせたブランチャと飛龍原爆固め。
つくづくプロレスはレスラーと観客との共犯関係で成り立っているのだと思う。

 さて20分のインターミッションのあとに白装束姿のアントニオ猪木が登場。
ここに書くほどでもない衝撃的な猪木の小芝居が終わった後(悪)、
「サーベルタイガー」が場内に流れ、ケロちゃんの「お気を付けください!」の絶叫とともに椅子を投げ飛ばし、観客を蹴散らしながらタイガー・ジェット・シン入場。
どうだこのハイテンション。場内のボルテージが一気に上がる。
ピンクフロイド「吹けよ風、呼べよ嵐」のテーマが鳴ってアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場を待つ間、リングの四方で狂虎は大暴れだ。
もう武道館には申し訳ないが、シンの入場が見られただけで国技館を選んで良かった。
思えばシンと猪木の抗争こそが金曜夜8時の象徴だった。
中学生から大学生にかけてシンは新日本の会場の憎悪を一身に受け続けてきたわけだが、今まさに客席で暴れているシンに昭和の日々が蘇る。
ケロちゃんのコールをぶった切るようにリングから蹴落とすタイミングも上手い。
もう70を越えて杖をつきながら、すっかりプロレスラーの気配を消してエプロンに現れたブッチャーと比べても、シンのプロフェッショナルぶりは際立っていた。

  もちろん、マスカラスの試合もシンとブッチャーの登場も興行の添え物であり、後者など試合ですらないのだが、申し訳ないが、その他の試合のことなどはあと一か月もすれば忘却の彼方に忘れ去ってしまうだろう。

 松井大二郎がこんなところでまだ第一試合に出ていたのかと苦笑してしまったこと。
ケンドー・カシンの雪崩式の飛びつき逆十字のキレは健在だったこと。
蝶野正洋が随分と大人の試合で自演乙を仕留めたこと。
小川直也が相変わらずだったこと。
ピーター・アーツがまだまだ元気だったこと。
急遽試合を組まれた藤田和之はやる気まんまんのバンナ相手に気の毒だったこと。

 しかし体を張って懸命に闘っていたアスリートたちには誠に失礼だったと思うのだが、
この8.27両国国技館で一番プロレスをやっていたのは間違いなくシンと猪木だった。



2011.8.27 両国国技館


author:ZAto, category:プロレス・格闘技, 20:03
comments(4), trackbacks(0), pookmark
久々にプロレス会場へ

 「タダ券が手に入るけど行く?」
このひと言で、2004年1月の新日本プロレス東京ドーム大会以来、6年10ヶ月ぶりにプロレス会場の匂いを嗅いだ。
場所は有明と聞いたので、てっきり有明コロシアムかと思いきや、ディファ有明だという。
会場は座席たったの500席のLIVEハウスのような空間。
全席自由。仕事帰りに駆けつけたにもかかわらずリングサイド最前列を確保してしまう。
もう私の知る昔日の新日本プロレスのスケールではないのか…。

s_tokurin.jpg

 …と嘆いていると少しずつ事情がわかってきた。
今回はCS放送のJ-SPORTSが主催するJrヘビーのタッグリーグ戦。
会場もあえてTVショー形式にして、5夜連続のミニシリーズを生中継。
招待券も衛星放送の関係から回ってきて、今夜が4日目ということだった。
こういう形式の試合は18年前にアトランタのCNNステージで観戦した経験がある。

 さて、今更ではあるが私は子供の頃からプロ野球とプロレスが大好物だった。
そして、阪神タイガースがあんまりにも弱すぎたため、球場で応援する気力がすっかり失せていた時期、プロレス観戦にハマりまくった。
タイガースがダメ虎だった時代にプロレスに浮気していたのは、虎キチとして引け目に感じるところではあるのだが、浮気といっても20年以上の長きに渡り、500回近く会場に運び、北海道から福岡まで全国を駆け回り、二度に渡ってアメリカまで行っているのだから、実際は相当に本気だった。
現実、それほど当時のプロレスは夢中にさせる魅力がてんこ盛りだったのだ。

 問題は6年10ヶ月という時間の「穴」。
最後に観た2004年の東京ドームの時点で、業界は混沌としていたが、今やマット界に新日本、全日本、ノア以外のどんなプロレス団体が存在し、どのレスラーがどこに所属しているのかもよくわからない。
そもそも知らないレスラーが多すぎる。
プロレスファン以外には何のことやらわからないだろうが、「穴」を抱える昭和のプロレス者にとって、6年10ヶ月ぶりに穴から這い出したら菅直人が総理大臣になっていたことより、 “春の本場所”チャンピオン・カーニバルの決勝が鈴木みのると船木政勝だったことの方が何より驚愕であるのだ。
そして、その間に内外問わず多くの物故者も出た。
とりわけ業界を牽引していた三沢光晴、橋本真也の死。
プロレスを観なくなっていた自分は鈍器で殴られたような痛恨を味わった。
決して銃弾で脳を撃ち抜かれたような衝撃ではなかったところに、私の「穴」のすべてを物語っていた。

 …などと、ここでプロレスへの思いを綴りはじめたら収拾がつかない。
 リングサイド最前列で聞くマットの軋む音、ロープの弾む音はたちどころに6年10ヶ月の記憶の穴を埋めてくれた。

 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第1試合 ヤングライオンスペシャルチャレンジマッチ20分一本勝負
○永田裕志[7分42秒ナガタロック]●キング・ファレ
 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第2試合 SUPER J TAG LEAGUE Bブロック公式戦30分1本勝負
○AKIRA&KUSHIDA
  [13分00秒ミッドナイト・エクスプレス→片エビ固め]
●フジタ“Jr”ハヤト&野橋真実
 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第3試合 SUPER J TAG LEAGUE Bブロック公式戦30分1本勝負
○デイビー・リチャーズ&ロッキー・ロメロ
  [12分44秒シャープシューター]
●獣神サンダーライガー&エル・サムライ
 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第4試合 SUPER J TAG LEAGUE Bブロック公式戦30分1本勝負
○金本浩二&タイガーマスク
  [11分50秒V1アームロック]
●望月成晃&スペル・シーサー
 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第5試合 SUPER J TAG LEAGUE Aブロック公式戦30分1本勝負
○プリンス・デヴィット&田口隆祐
  [9分44秒ラ・マヒストラルガエシーノ]
●NOSAWA論外&FUJITA
 ----------------------------------------------------------------------------------
▲第6試合 スペシャル8人タッグマッチ30分1本勝負
○井上亘&本間朋晃&ラ・ソンブラ&マスカラ・ドラダ

  [16分06秒スピアー・オブ・ジャスティス→片エビ固め]
●高橋裕二郎&内藤哲也&邪道&外道
 ----------------------------------------------------------------------------------

 Jrタッグリーグの前座試合とはいえ、目の前で永田裕志のファイトを観る。
永田が現在、プロレス界のどのあたりのポジションにいるのかまったく無知だが、新日本の頂点に戴冠していたトップレスラーだった。
見た目は6年前の永田のままだった。ファイトスタイルも相変わらずで、おそらくオーソドックスにプロレス界のど真ん中でキャリアを積んでいるのだろう。
「ヤングライオンスペシャルチャレンジマッチ」と銘打たれていることから、若手に胸を貸すというマッチメイクなのだろう。
調べてみると相手のキング・ファレは新日本の練習生から今年の4月にデビューしたばかりのトンガ出身の新人。
新人といっても193センチ113キロの巨漢で、プロレスに浦島太郎状態の私にはのっけから迫力に驚く。
一気に6年10ヶ月の穴を塞いでくれるのは、こういう肉体のインパクトは実に手っ取り早く、非常に有難かった。
派手な大技はなく、張り手の応酬を中心としたプロレスだったのが、オープニングバウトらしい好感の持てる試合。
キング・ファレは試合が終わると、トレーナーを着てリングの下でせっせと雑用をこなしていたが、ぜひ恵まれた体格を生かしてトンガの先輩、キング・ハクやコンガ・ザ・バーバリアンの域まで成長してほしい。
これもひとつの縁ではある。

 目を引いたのがAKIRAの見た目だった。
頬がこけて白髪の長髪でヘビメタのリードギターのようなルックスに驚く。思わず隣席の友人に「あれ野上だよね」と聞いてしまうほどの変身ぶり。
考えてみればもう40代の半ば。いつまでも船木と組んで安生、中野のUWF勢を迎撃していた「伝説の第一試合」のイメージのまま彼を封印しているのは失礼というものだろう。
調べてみたら今はフリーとなってSMASHの所属レスラーだという。
… SMASH?知らんです(*_ _) KUSHIDAもフジタ“Jr”ハヤトも野橋真実も知らないレスラー。「穴」は大きい。
 笑ってしまったのが、KUSHIDA AKIRA…串田アキラということで試合終了後に『宇宙刑事ギャバン』を熱唱してたこと。 
隣の席では特撮ファンの友人(51歳)も大喜びで歌う(笑)。…誘ってよかった。

『怒りの獣神』が高らかに会場に流れる。
甲子園でタイガースの江草がマウンドに上がるときのお馴染みの曲。本家の獣神サンダーライガーの入場シーンを久々に見た。
思えばライガーに変身する以前の山田恵一の頃から数えると、この男の試合を何度見てきたことだろう。
間違いなくプロレス界の軽量級を支え続けた重鎮であり、何度目かの新日本プロレス黄金時代の一翼を似合うスター選手だった。
そのライガーも明らかに年輪を重ねた。全身コスチュームであっても腹は出ているし、髪は見るからにズラだとわかる。もう40代も後半に差しかかっているのではないか。
一方のエル・サムライにしても、もともと筋肉質体型ではなかったので見た目は以前と変わらなったものの、よく見ると顎ヒゲに白いものが混じっていたりもする。
ふたりともマスクでは覆い隠せない経年変化を醸し出していたものの、それでもライガーとサムライが並ぶと、そこは混じりっ気なしの新日本プロレスの風景が現出される。それが嬉しかった。
往年のカンナム・エクスプレスを彷彿とさせるデイビー・リチャーズとロッキー・ロメロのチームも悪くない。
もっと集中力が加わって、もしプロレスが90年代の頃の盛り上がりであったならば、大会場を大いに湧かせるのではないだろうか。

 金本浩二は素顔の分だけ年輪の刻みがはっきり見て取れた。
動きはシャープだし、きつい受けもこなしていてファイトそのものは往時と遜色はないのだが、ハードで情け容赦のないスタイルに顔が追いついて、いよいよ磨きがかかってきたのではないか。
会場から「アニキ!」という声援が飛んで思わず苦笑。「金本」なのだからアニキなのだろうが、そういえば私にとって金本といえば鉄人・金本知憲ではなく、最初は金本浩二だったことを思い出す。
考えてみれば年齢も金本浩二の方が年上ではないか。
若手を見下すよう表情から繰り出されるエゲツない攻め。44歳の顔に相応しい冷徹な佇まいで、ジュニアの壁に君臨しているのではないか。
思えば金本は3代目タイガーマスクとして東京ドームに登場。タッグを組んだタイガーマスクが何代目なのかはわからないが、少なくともオーラが段違いであることを見せつけてくれた。
皮肉なことに金本浩二に対してここまで強烈な印象を持ったのは初めてだった。

s_jyagai.jpg 邪道と外道がメインの8人タッグに登場する。
結果的には翌日に行われた最終戦で、このコンビがタッグリーグ戦を制すことになるのだが、やはりコンビとしての色気、貫禄は他を圧倒するものある。
我々はメジャーである新日本と全日本のレスラーと比べ、インディー出身を低く見てしまう世代になるのだが、この邪外コンビだけはすんなりとメジャーマットに馴染んでいた。
不思議とどこのリングに立っていようとまったく違和感はなく、団体の色に染まることもない。これぞプロ中のプロというものだろう。
各団体を渡り歩き、肉体にマットの垢が染み付いたような大人の佇まい。
かつてファンクスとブッチャー、シークが抗争を繰り広げていた70年代後半の全日本マットにグレート小鹿、大熊元司の「極道コンビ」という名バイプレーヤーがいたが、邪道・外道がリングインするのを見て「極道コンビ」が脳裏を掠める瞬間があった。
いぶし銀的なヒールはプロレスに絶対不可欠な存在であり、こういうチームがリングに登場することで、観客が「今夜はプロレスを観に来たぜ!」という高揚感が湧いてくるものなのだ。
恐ろしいことは高校、大学時代に見ていた「極道コンビ」より、今夜の邪外コンビの方が年齢が遥かに上であるという事実なのだけど。

 6年10ヶ月の「穴」。
それはプロレス界の急流を思えば途方もない時間の流れてあるのだが、
渦中にどっぷりはまっていた頃には見えていなかったもが、「穴」のフィルターで濾されて見えてきたものもある。

 そんなディファ有明での束の間の邂逅だった。。




2010.11.12 ディファ有明


author:ZAto, category:プロレス・格闘技, 13:56
comments(0), trackbacks(0), pookmark
追悼 山本小鉄

 もう何十年も昔の話。
私はG1クライマックス国技館大会のチケットを取るため、
六本木の新日本プロレスの事務所前に徹夜で並んだことがある。
そのとき、車の音とともにクラクションが鳴り、
運転席から山本小鉄が「ありがとう!」と声を掛けて通り過ぎていった。
「おお、あれが若手時代の前田日明をビビらせた小鉄さんの車の音か!」
と、大いに感激したものだった。

 「人間爆弾」「鬼軍曹」というのが山本小鉄の異名。
力道山最後の弟子としても有名だが、星野勘太郎とのヤマハブラザースの全盛時代はちょうど私のプロレス「穴」の時代にあたるため、私にとって山本小鉄といえば、テレビ中継の解説者であり、審判部長であり、新日道場の鬼コーチというイメージだった。

鬼軍曹

 「他のスポーツ選手はヘトヘトになるまで練習するというが、プロレスラーはヘトヘトになってから本当の練習が始まる」
 「ヒンズースクワットを何千回もやると、床に溜まった汗の上を紙の船が泳いでいく」

 そういう熾烈なプロレス道場での逸話を聞くたび、我々プロレス好きは幻想を大いに掻き立てられ、いつしか道場への神話が築き上げられていくことになる。
藤波辰爾、藤原喜明、木戸修、佐山聡、前田日明、長州力、高田延彦、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝、鈴木みのる。
四十度を超える暑さの中で、黙々とプッシュアップをこなし、スパーリングに悲鳴を上げる若者たち。
その神話の頂点に君臨していたのが山本小鉄だった。
新日本の道場の風景といえばアントニオ猪木の写真。「精神」と書かれた五項目からなる道場訓の張り紙。そして木刀や竹刀を持った山本小鉄の姿だ。
前述したように前田日明は、山本小鉄の愛車が道場の前に停車しただけで震え上がったという。

 プロレスファンは常に世間の八百長論議に晒されていた。
はっきりと理論武装し始めたのは村松友視が登場してからだと思うが、
それまで世間の冷たい視線に立ち向かうのは道場論が唯一の武器だったといってもいい。
そして八百長論議とは別にプロレスラー最強説を信じて疑わなかった。
その根拠となったのも世間の価値観などせせら笑うような道場の苛烈さにあった。

山本小鉄はことあるごとに道場の神話を守り、プロレスの神話を守り続けてきた。
ファンの暴動を治めるため、本気で切腹寸前までいった信念の男。
私はそんな山本小鉄が築き上げた世界観に十代から三十路過ぎまで、どっぷりと浸らせて貰った。

 今年のG1クライマックスの出場選手には知らない名前が半分あった。
私がプロレスから離れてしまったのは、プロレスを取り巻く様々な神話が音を立てて崩れてしまったからに他ならない。
道場はいつしかジムと呼ばれるようになり、「精神一到何事か成らざらん」の道場訓とともに物語の幕も降ろしてしまったようだ。

山本小鉄、享年69歳。
ひとつの時代と、神話が、完全に終った。 合掌。



author:ZAto, category:プロレス・格闘技, 01:23
comments(0), trackbacks(0), pookmark
三沢光晴 追悼


 訃報が飛び込んできてから一週間経った。

 三沢光晴を伝える報道も、在りし日の故人を偲ぶ逸話へと緩やかにシフトされ、
しばらくすれば「三沢さん」という表現にも違和感がなくなっていくのだと思う。
しかし三沢光晴に気の利いたニックネームがなかったように、
私の中では「三沢さん」などではなく、永遠に「三沢光晴」であり続けるはずだ。

三沢光晴

 三沢光晴について個人的な思い出の数々を延々と綴っていくことは容易い。
試合会場で三沢の試合を観た回数を大雑把に数えると90回近くになる。
タイガーマスク時代の「猛虎七番勝負」も、
試合中に突然マスクを脱ぎ捨てて東京体育館を騒然とさせた試合も、
超世代軍から四天王へと至るまでの殆どのビッグマッチを目にしてきた。
彼が日本のプロレス界の頂点に昇りつめていく過程をつぶさに見てきた自負はある。
しかし、三沢を「社長!」と呼ぶ会場に足を運んだのはただの一度きり。
三沢が本当に心血を注ぎ、命を振り絞って守ろうとしたプロレスリング・ノアのマットは殆ど見ぬままに突然の訃報を聞くことになったのだ。

 三沢光晴の死を我が身内のことのように嘆き悲しむ記事を書くことなど出来ない。
私は、友人たちに以下のメールを送った。
  -------------------------------------------------------------------------
  プロレス会場から遠ざかって、
  いまさら衝撃というのも少々おこがましいですが、
  かつて、あまりにも激しい受身の数々を見続けただけに、
  ショックですね。
  彼がプロレスに命を懸けてきた結果として本望だと思うのであれば、
  救いにはなるのでしょうけど。
  -------------------------------------------------------------------------
 三沢光晴の死について、私の本音のすべてがここにある。

 唯一、ノアの試合を武道館に観に行ったのは今から4年前。
私が三沢光晴の試合を最後に観た試合となる。
あの頃、私はプロレスではなく、PRIDEなどの総合格闘技に趣向が傾斜していた。
いや私だけではなく、マット界にかかわるあらゆるものが、プロレスにソッポを向き始めていた頃だったように思う。

 2003年3月1日---------。
ショップを畳んで失業したばかりだった私はひとりで日本武道館に向かった。
メインはGHCヘビー級選手権「王者・三沢光晴VS挑戦者・小橋建太」。
ひとつの歴史的背景として、同じ日の横浜アリーナで長州力が新団体を旗揚。
長州力VS天龍源一郎の黄金カードがメインで組まれていた。
同時にK−1は有明で「WORLD MAX」を開催していたと記憶している。
あんな境遇だった私が武道館を選んだのには意味があったのかもしれないし、
単なる気紛れだったのかもしれない。
長州の新団体の名称とともに今はすっかり忘れてしまった。

 ただプロレスファンの誰もが武道館の試合が壮絶なものになることは知っていた。
間違いなくノア、いやプロレス界が提供できる最高屈指の大一番だった。
攻めの凄みと受けの凄みが両者にある限り、名勝負は約束されていたのだ。
果たして試合は壮絶を通り越したような凄まじい受身の連続となる。
頭からマットに叩き落す、落とされるの攻防。その説得力が半端ではない。
観客の足を踏む音が地鳴りのように共鳴し、歓声と悲鳴が間断なく繰り返される武道館。
その観客たちは、やがて三沢が花道からタイガースープレックスで小橋を床に投げ捨てるという究極の場面に遭遇する。
いまここで「死」という表現は生々しすぎて書くのは憚れるのだが、
あの瞬間に間違いなく両者は再起不能を覚悟したのではないだろうか。
興行戦争という現実が荒技となって結実したのは事実だとしても、
「遺恨」ではなく「信頼」という境地の何たる凄まじさに呆然となっていたように思う。
ただし、いつか起こる悲劇が現実になったなどと、したり顔だけはしたくないとも思う。

 私は、もともと全日本プロレスの「信頼のプロレス」には違和感があった。
約束された名勝負よりも、常に不信感と隣合わせだった新日本プロレスの方を愛した。
全日本の武道館会場は「群衆の中の孤独を味わうために行く」と訳のわからないことをいっては友人たちから苦笑されていたことを思い出す。

 そして、あの日に三沢と小橋が命を削って訴えようとしたプロレスの凄さは、
残念ながら私をプロレス会場に足止めさせることはなかった。
むしろ、私の中で急激に求心力を失っていったプロレスの最後の大爆発にも思えた。

 今はそれが本当に申し訳なく思う。

 地上波放送が打ち切られ、急激な経営悪化で金策に追われていたという記事。
 壮絶な受身の蓄積で既に再起不能寸前の状態だったという記事。
 年内には引退をほのめかしていたという記事。
 哀悼の意を表する他団体レスラーたちのコメントの数々。
 ノーコメントを貫いているという小橋建太、涙の謝罪をしたという斉藤彰俊。
 団体合同の追悼大会の企画発表。

 今、再び「群衆の中の孤独」を味わいながら、
敬意と感謝を込めて、胸の中で静かにテンカウントのゴングを鳴らそうか。





author:ZAto, category:プロレス・格闘技, 14:30
comments(2), trackbacks(0), pookmark
ヤワラちゃん負けた〜!
開始早々、上背のある相手に奥襟を狙われたのがおまじないのように効いてしまった…。

アテネで日本柔道が躍進したのは、初日の谷亮子と野村が金を獲ったことが大きい。
いや、五輪全体でのメダルラッシュに大きな弾みをつけたといえる。
今回は早々に平岡が敗退して嫌な雰囲気が漂っていたのだが、
あろうことか北京五輪の初日でヤワラちゃんが準決勝で負けてしまった。
これで北京五輪全体に暗雲が立ち込めたような気がする。

それにしても谷亮子には頑張って欲しかった。

組み手争いに終始し、両者指導と思いきや終了間際に谷のみが反則を取られてしまった。
立ち技系格闘技ではなく、組まないと話にならないのだから、
谷のカウンター狙いだけの柔道には失望せざる得ない。

私が何故、谷に頑張って欲しいと思っていたかというと、
五輪選考会となった福岡の決勝でひと回り下の山岸絵美に完敗しているにもかかわらず、
決勝で敗れた谷が北京五輪出場に選出されたという経緯があったからだ。
優勝した山岸は相手が谷でなかったとしたら北京の畳を踏んでいたに違いなく、
谷の実績は偉大としても、山岸自身にとってこんな不条理なことはなかっただろう。
この階級で強くなる意味をも疑問に感じたに違いない。
その不条理を少しでも払拭出来るのは谷亮子の「金」しかありえなかった。

かつて「負けて獲るのが銀、勝って獲るのが銅」ともいっていた谷亮子。
しかし払い腰は見事だったが、笑顔はなかった。



author:ZAto, category:プロレス・格闘技, 20:00
comments(2), trackbacks(0), pookmark
みんなのブログポータル JUGEM