- 海へ
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2011.12.11 Sunday
平泉以来、すっかり寺社を参拝してご朱印を戴く楽しみに目覚めている。
そこで久々に好天の週末ということもあり、江ノ島神社を目指した。
きっかけは中村勘太郎が弁天小僧の由来を紹介する旅番組だったが、
何せ電車一本30分で行ける。活のいい魚が食える。何より海が見たい。
思えば住処から江ノ島へのアクセスの良さには無頓着すぎていた。
腹も満たされ、弁財天でお参りを済ませたあと岩屋まで腹ごなしに歩いてみる。
辺津宮、銭洗白龍王、八坂神社、庚申塔、中津宮、奥津宮、龍宮。
いやいや江ノ島がこんなに神々に囲まれた霊験あらたかな島だとは知らなかった。
稚児ヶ淵では視界のすべてに白波が躍り、トンビが夕陽にシルエットのように舞う。
やがて潮が波を足元まで運び出すと、雲が切れて誰かに見せたかったような富士山。
灯台にイルミネーションが輝いて人が集まり出したのをきっかけに退散。
ここまで江ノ島を堪能したのは小学校の遠足以来だったかもしれない。。
※12.10「日めくり」より。写メがちょと良かったので掲載
- Photo digest 〜 奥州路へ
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2011.10.08 Saturday
気がつけば今年は旅に出ていなかった。
ここはひとつドーンと連休+有休を使ってロンドンにでも行って、念願の映画『 フォロー・ミー 』のロケ地巡りでもやってしまおうかと、現地スポークスマン(?)と連絡を取ったりもしたのだが、突然の引越し話しが持ち上がって断念。
結局、岩手を中心に飲んで食って温泉へと、誘われるまま3泊4日の旅に出ることにした。
欧州旅行が奥州旅行に化けたものの、微力ながら復興支援になれば自分としても嬉しい。
以下、携帯で写メを撮りまくったので、ざっとダイジェストで旅を振り返ってみたい。
題して『 Photo digest〜 奥州路へ、命の大洗濯 』の記録となる。
【16日】 東京 ------ 新花巻 ------ 遠野 ------ 花巻温泉(泊)
【17日】 花巻温泉 ------ 平泉 ------ 渡り温泉(泊)
【18日】 渡り温泉 ------ 小岩井農場 ------ 乳頭温泉 ------ 新玉川温泉(泊)
【19日】 玉川温泉 ------ 八幡平 ------ 盛岡 ------ 上野
写真を並べてとっととアップしようと思ったのだが、
Fhotshopによるいらぬ労作をはじめてしまったことと、引越し作業やネットの不具合などもあって旅から早くも半月が経ってしまった。
近所への引越しなので荷物は手運びを延々と続けているので、日頃の運動不足に鈍っていた身体はくたくたで、今からでも玉川温泉の強烈な硫黄の湯に浸かりたいぐらいではある。
旅の移動でレンタカーを使い、凡そ500キロほど走りながら、カーラジオから流れる地元の放送を聴いていると、
震災から半年以上経ち、被害によるダメージや悲劇を伝えるのではなく、小さなニュースでも復興への明るい話題を提供しようとしていたこと感じる。
しかし天気予報は大雨による浸水の注意を促し、交通情報は満潮による通行止めを呼びかけていた。
遠野の田園風景の中、二両編成でのどかに走りる姿に限りない郷愁を感じさせてくれた石巻線も、全線開通の道筋は立っていないのだという。
半年以上経ったといっても、所詮は半年でしかないということか。
まあ、私もいつもの旅なら貧乏旅行を追及するのを今回はそこそこ散財させてもらった。
岩手は昔は陸奥(むつ)の国と呼ばれていた。
陸(みち)の奥(おく)ということで、ここら辺りは「みちのく」の本場なのかもしれない。
例によって、あそこも行きたかった、あれを食いたかった、もっとゆっくりしたかった、と、旅の心残りは多かったが、次に課題を残して終わるのが旅の醍醐味という持論をのたまいつつ、ざっとの奥州旅行記を締めることにしたい。
2011年、秋。
- 尾瀬紀行…みたいなもの
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2010.10.22 Friday
秋の行楽シーズンだからというわけでも、三連休だったというわけでもないが、
都会の喧噪にまみれてばかりというのもなんなので、、、尾瀬にでも出掛けて大自然を満喫しに行こうかという話になった。
話が決まったのが出発の5日前。
早朝に尾瀬に入って日帰りというコースもあったが、そこそこのハイキングになるなら一泊したい。
もう若くないのだから出来ればテントや山小屋、山荘なんかではなく温泉つきのホテルで晩朝の食事もしたい。
さらに安く済ませたいので往復バスと宿泊のパックにしたい。
そんな「したい」の三連発で5日前に空きがあるかいなと思いつつも、何とか格安パックの予約にこぎつけることができた。
【10/9】新宿(22:00発)⇒⇒⇒関越自動車道・国道17号(車中泊)
【10/10】尾瀬戸倉(4:00頃着)⇒⇒⇒大清水(5:00頃着)・・・自由散策・・・大清水(15:00発)⇒⇒⇒<マイクロバス>⇒⇒⇒戸倉温泉(15:20頃着)(泊)
【10/11】尾瀬戸倉⇒⇒⇒<マイクロバス(各自で乗車・各自負担)>⇒⇒⇒鳩待峠・・・自由散策・・・鳩待峠(14:30発)⇒⇒⇒<マイクロバス>⇒⇒⇒尾瀬戸倉(15:20発)⇒⇒⇒関越自動車道⇒⇒⇒池袋(19:30頃着)
要するに大清水の午前5時から午後3時までと、翌日の鳩待峠の午後2時半までの自由散策がメインのハイキングとなる。
パンフレットによればハイキング距離が10キロ〜23キロ。
自由散策をたらたらすれば10キロ程度で、とことんトレッキングを追及すれば23キロになるのはアンタ方次第というプランだ。
まず宵の口から狭い4列シートで速攻に消灯されても眠れない。
夜行バスは乗るたびにこういう目に遭う。
なんで昼間の遠足バスなら簡単に落ちるのに不思議ではあるのだけど。
携帯電話の光漏れもだめともなると無言で闇の中で目を瞑っているのみ。
楽しみはいつも休憩所での一服。しかし今やパーキングでは喫煙所とトイレが両端。走らなければバスの出発時間がギリギリとなる。嫌な世の中になってしまった(涙)
正味30分ほど寝たかどうかという状態で、まだ夜明け前で闇夜の大清水に着いたときには雨。
雨の行軍といえば一年前の“試練の大島三原山お鉢めぐり”を思い出す(怖っ)。
準備のいい他のツアー客がヘッドランプをつけて次々と出発していくのを見送りながら、なんの準備もしていない我々は、早くも弁当を食い始め(笑)、夜が明けるのを待つ。
そして薄っすらと山際少し明かりて、雨、小降りのタイミングを見計らい、いよいよ出発と相成った。
最初の休憩ポイントの一ノ瀬までダラダラと砂利坂を歩くこと一時間。
そこからいきなり普通の「登山道」となる。こちらは「聞いてねー」状態(汗)。
後日、尾瀬保護財団というところのHPを見たら以下の解説が載っていた。
本当に息が切れた。“登山そのものの魅力”を嫌というほど味わった。
考えてみたらバスの停留所からいきなり尾瀬沼や尾瀬ヶ原の湿原が現れるわけはなく、
峠を越えなければスポットまでアクセスできないのは当り前なのだが、我々は「その場」で知る。
尾瀬といえばミズバショウやニッコウキスゲ、リンドウやらアヤメを湿原の木道を歩きながら観賞するというイメージ(季節感は無視、ていうか無知)。
だから多少距離を歩いてもたかがハイキングだと舐めきっていた。
いや登山といってもお年寄りも登っているような初心者コースなのだが、日頃の運動不足と眠れなかった夜行バスにヘトヘトの身体には情けないほど堪えてくる。
それでも次第に「登山そのものの魅力を再確認」しはじめる。
山に登り始めのときはしんどいし、息も切れるのだが、しばらくすると不思議と身体が軽くなる感じがある。
身体が温まっていくこともあるだろうが、やはり大自然の木々が発する息吹と融和することで、登山モードになっていくのかもしれない。
これもまた登山の醍醐味だといえるだろう。
醍醐味といえば、「おはようございます」「こんにちは」「もう少しで着きますよ」と、すれ違うハイカーたちと挨拶を交し合うことも楽しい。
ハイカーたちにはそこそこ年配の人もいて、重装備の人も短パンTシャツの若者たちもいた。
年配のご夫婦も多かったが、旦那さんに連れられて歩いている奥さんより、三人組のオバサンたちの方が楽しそうにしていたのが印象的。
すごいなと思ったのは道中、チリひとつゴミが落ちていなかったことか。
あまりに徹底していたので、お弁当のオニギリからこぼれた米粒も拾わなければならない雰囲気で、本当に「ゴミ持ち帰り」が徹底している。
ゴミを捨てさせないのは、注意書きの看板などではなく、そこにまったくゴミが落ちていないという現実を示すのが一番なのかもしれない。
雨も上がり、陽が差してきたこともあって、大清水から7キロ近い登山行にめげることもなく気分上々に尾瀬沼の入口まで辿り着く。
尾瀬の魅力は季節に応じて湿地に咲き誇る草花なのだろうが、その源にあるのは当り前だが豊かな「水」にある。
しんどい峠越えの先に豊かな水があるというのは尾瀬を歩く最大の魅力ではないだろうか。
「沼」といってしまうのは失礼なくらいに静謐に包まれた湖畔。
湖面と地面の境目がなく、地続きで長いヨシに覆われる風景がこの旅でもっとも尾瀬らしい景観ではないかと思えた。
我々が立つ地点は群馬県だが、地図を見ると沼の向こう半分は福島県になる。
本当は一周してみたかったのだが、準備不足によるスタートの遅れと、帰路での下山にどれほどの時間を要するのかわからないので3キロほど湖畔を往復して、昼食とすることにした。
とにかく空気が旨い。この空気の味に一層食欲が増してきたように思う。
下山の頃にはすっかりと空も晴れ渡り、紅葉も渓流もより鮮やかに目を楽しませてくれる。
しかし登山はしんどいが、帰路は下りだから楽ということはない。
なにしろ加齢とともに膝関節のクッションが利かなくなるので、ひと足踏み出すたびに膝に衝撃が来る。これがキツイ。痛めている靭帯に体重がかからないように上手に下りなければならない。
もともと寝不足ではあるし、とっとと宿について風呂を浴びてひと眠りしたい。
下山のときはそんなことばかり考えていた。
高原の宿なので贅沢なものは期待しないが、お楽しみは風呂と飯。
まずはゆっくりと風呂に入って、ちょいと仮眠。そのあとは大食堂で舌鼓を打つ。
ビールも喉にグッと来て最高。
さて、二日目は尾瀬紀行のメインである尾瀬ヶ原に行くことになるのだが、悪いことに事実上の自由行動。
本来なら早朝に出発して尾瀬ヶ原を存分にハイキングして、2時過ぎに東京行きのバスが待つ峠に戻ってくるというのが正規の日程。
ところが、風呂でゆっくりと疲れた身体を癒したおかげで、筋肉痛がすぐ翌日に来た。
結局、8時過ぎまで寝て、バイキングの朝食を食べて、また風呂。
チェックアウトのギリギリまでぐずぐず過ごしてしまう。
やはり歳には勝てない。楽ができるとなるととことん楽な方に流れてしまう。
こういうツアーの場合は強制的にバスが迎えに来るとかではないとダメだ。
尾瀬ヶ原の入口となる鳩待峠に到着したのが11時頃。
今から尾瀬ヶ原の湿原散策など時間的に絶対無理。
しかしだからといってここでバス待ちというのも芸がないということで、せめて尾瀬ヶ原の入口となる山ノ鼻までは歩こうとなって重い腰を上げることにした。
♪夏が来れば 思い出す 遥かな尾瀬 遠い空〜水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている 水のほとり
誰でも知っている有名な唱歌。この歌の題名は『夏の思い出』という。初めて知った(汗)。
やはり尾瀬の旬は春から夏なのかもしれない。
結局、絵葉書にあるような植物群生どころか、花びら一輪も見ることは出来なかった。
資料によるとこの時期はエゾリンドウの紫色の群生が楽しめるということだが、何せ準備不足と体力不足、さらに怠けグセが炸裂して、そこまでのスポットまで行き着くことができなかったといった方が正しいか(恥)。
かくして花をまったく見なかったのに20キロ近くは歩いたという尾瀬紀行は終了となる。
それでも紅葉と渓流、何よりも澄み切った青い空と美味しい空気を満喫した。
ついぞ一切のゴミも見つけられなかったというのも素晴らしいし、環境への取り組みについても考えさせられた。
なによりも普段、あまりにも目を酷使する仕事であるため、大きな自然美を堪能する機会を得たことも嬉しい。
今回、尾瀬というエリアの魅力と奥深さの一端を知ることもできたし、凡その要領は掴めた。
「次こそ尾瀬ヶ原を巡る」という目標もできたので、いつかまたブログにアップする日を目指したと思う。
ゴミの持ち帰りを考えて荷物は軽く、なによりも体重も軽くしとかなければ。
帰りのバスは関越道の大渋滞で東京まで8時間。これには参った。。
- 試練の三原山お鉢めぐり
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2009.10.25 Sunday駅の展示板に貼られていたポスター。
『小田急のんびりハイク&ウォーク』
日帰り伊豆大島ハイキング
“黄金色のススキに染まる三原山大噴火口お鉢まわりハイキング”
大島温泉ホテルを出発し一面ススキの大地を抜けていくと景色は一変し溶岩の世界。
大噴火口を見下ろし、お鉢ま わりしながら伊豆・房総や南方の島々を眺望できます。
奇跡的に残った三原神社も参拝できる初心者でも安心のハイキングコースです。
行こうなかと思ったのは二週間ほど前。
阪神タイガースが神宮で連敗して、今季の全日程終了が確定した頃だった。
早い話、タイガースがクライマックスに進出していればこの度の日帰り旅はなかった。
もともと伊豆の島々には初島以外には一度も足を踏み入れたことはなく、
機会があれば一度どこかの島へ渡ってみたいとは思っていた。
ただCS用に空けていた日程を慌てて詰めたものだから、
早朝6時半出発ながらも前日に飲み会を入れていた。おかげで睡眠時間4時間。
まあたかがハイキング。イベントの前日に夜更かしなど毎度のことだとタカを括っていた。
天気予報を見ると関東地方の日中は曇り。しかし伊豆諸島の天候は不良とのこと。
ここのところ連日の秋晴れが続いていたので運の悪いこっちゃとは思ったものの、
富士山に登頂するわけでもないので、降られたらその時とまたしてもタカを括る。
このタカの括りが大間違いで、まさかあれほどの地獄が待ち受けていようとは(笑)
以下、備忘録的に今回の日帰りハイキングの全行程を長々と書いておきたい。
☆行程(日帰りコース)
小田原駅==バス==熱海港9:20発〜〜ジェット船〜〜大島岡田港10:05着==バス==大島温泉ホテル・・・すすきヶ原・・・溶岩群・・・分岐・・・お鉢まわり・・・三原神社・・・三原山頂口==バス==大島岡田港15:30発〜〜ジェット船〜〜熱海港16:15着==バス==小田原駅17:30ごろ:解散
※ ==バス 〜〜ジェット船 ・・・徒歩
小田原駅の改札口に午前8時集合。
簡単なツアーにつきそこで旅行代金の振り込み控えと往復の乗船券を引き換え。
ツアー客は電鉄主催の小プランらしく年配者が多かったが、ひとり客もちらほら。
北条早雲像からバスで熱海港まで移動。そこから東海汽船の高速ジェットバスに乗船。
船は「ゼブンアイランド愛」号。どピンクの派手な船。伊豆七島から命名されたか。
考えてみれば首都圏に住んでいながら、伊豆七島についての知識は本当に乏しい。
まず「七島」が言えない。大島、新島、三宅島、八丈島は何とかわかるが、
後は神津島?式根島?、初島は入ってねぇよな、とか、その程度。
正解は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島。
伊豆七島は東京都で品川ナンバーであっても、利島と御蔵島は知らなんだ(汗)。
とにもかくにも船に揺られながら舟を漕いでいるうちに大島に到着。
そこからバスに乗り込むあたりで、雨がパラつきはじめていた。
「アンコ椿は恋の花」でも歌われたように大島は椿や山茶花の群生地。
バスの窓が雨で濡れていたので写メは撮らなかったが、椿が森のようになっている様は初めて見た。
バスは三原山の登山口となる大島温泉ホテルへ。
天候不順で先行きが怪しいということで、三原山山頂で食べる予定のアシタバ(明日葉)の炊き込みご飯で握られたオニギリを食べることになった。
明日葉の味は小松菜に似ている。椿油、クサヤと並ぶ大島名物とのこと。
とりあえずの腹ごしらえは終って、いざ出発。雨は一段と激しくなっている。
ツアーといっても集合時間が決められただけのフリーウォーキングということで、各々が自由に出発し、それぞれのペースで歩くというスタイル。
売店で200円のヘナヘナのカッパを購入。リュックを濡らすわけにはいかない。
登山が始まるとすでに緑豊かな椿の群生はなく荒涼とした風景。
まるで『ロード・オブ・ザ・リング』のセットの中を歩いている気分か。
高速船で熱海から40分あまりの距離だが、内地とは違う空気が島にはある。
ここら辺りは一面のススキが広がり、所々に固まった巨大な溶岩が横たわっている。
伊豆大島の三原山はハワイのキラウエア、イタリアのストロンボリ火山と並ぶ「世界三大流動性火山」だそう。
もっとも「三大〜」の3番目というのは大概が怪しく、果たして三原山が世界でキラウエアやストロンボリといった有名どころと並んで語られているのかどうかわからないが、1986年の三原山大噴火による全島民避難のニュースはよく憶えている。
そのうち、足元の一面の砂利はすべて火山岩となるのだが、中には苔が生えているものもあり、この島の自然が長い歳月を火山とともに送ってきたことがわかる。
雨は激しさを増す一方だが、溶岩石の砂利で道がぬかるんでこないのは有難く、
たかがハイキングだと思い、スニーカーを履いてきたことを後悔しつつも、
ごつごつした石ではなく軽石の絨毯にも随分と助けられたのではないか。
しかし勾配が急となり、いよいよ登山の様相を呈し始めたあたりで風がきつくなり、
帽子の庇からぽたぽたと落ちる水滴を真横に飛ばすようになってくる。
次第に霧も濃くなって、気温が一気に下がってきた。
ここ最近の運動不足と睡眠不足、悪コンディションに体力が奪われていく。
オバちゃんたちのグループは追い抜き、若い人たちには追い抜かれつつも、
霧で視界が遮られるので勾配の区切りが見えず気持ち的にも厳しい。
三原山の標高は764m。霧の中から現れた案内人によって山頂への到着を知る。
何せ霧で視界が利かないので登頂したといってもまるで実感がなかった。
そこで左へ行けばお鉢めぐりのコースで、右へ行けば下山するコースになるという。
実は出発前に添乗員から悪天候なので、お鉢めぐりを辞退してショートカットで下山するコースの説明もされていたのだった。
正直言うとかなり身体もしんどく、寒気もあり軽い頭痛もしていたし、
何よりも雨風と霧が半端ではなかったので下山コースを選ぶつもりでいた。
実際、大半のツアー客はそのまま下山して行ったという。
しかし「待てよ」と。
本来の目的は登頂ではなく、火山口を一周することにある。
それと「お鉢めぐり」という言葉にある種の劣等感があった。
三度の富士山登頂では、高山病による頭痛と疲労でお鉢めぐりを断念しているのだ。
いくら悪天候とはいえ三原山で断念しているようでは二度と富士山頂は回れない。
これは行くしかないなと決めてコースを左にとることにした。
タカを括って出発したツアーだったが、ここでようやく腹を括ったわけだ。
果たして三原山お鉢めぐりは大袈裟ではなく過酷なものになった。
私の文章はとかく大袈裟に走りがちなのだが、客観的にみても過酷だった、と思う。
三原山の火山口は自殺の名所ともいわれているが、ある意味、地獄のようだった。
まず登山中と違って、頂上は強風を遮るものが何もない。
遮るものはなくても霧に覆われて火山口めぐりという実感がまるでない。
ただ後にも先にも他のツアー客がいないことだけはわかる。
とにかく右を見ても左を見ても霧では、どれだけ進んでいるのかを知る術は風の吹く方向が変わったときのみ。
その風たるや半端ではない。
雨が矢のように頬に突き刺さり、寒いわ痛いわで何度も足が止まる。
足が止まったところで断続的に強風に煽られてカッパが吹き飛ばされそうになる。
やれることといえば強風が吹く方向に背中を向けて踏ん張ることだけ。
まるで何かの罰ゲームを受けているようで、「…俺は何してんだろ」と自問。
とにかく断言できるのは、これほどの強風に見舞われたのは人生で初めてだった。
それでも気持ちを奮い立たせ、アントニオ猪木が引退の時に披露した『道』を呟く。
道
この道を行けば どうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
展望台らしきものが現れ、そのプレートには「房総半島」「三浦半島」「富士山」などの眺望のガイドが記されていたが、当然ながら真っ白の世界で悪い冗談に思えてくる。
いや一番タチの悪い冗談は“のんびりハイク&ウォーク”というツアー名か。
「なにが“初心者でも安心のハイキングコースです”だよ〜!!」。
やっと火山口に隣接する三原神社の鳥居が見えてきて、参拝したのだが、
賽銭箱に50円を投げ込みながら、危うく「早く帰らせてくれ」と祈りそうになった。
♪ アンコ〜椿は〜 アンコ椿は アアンア〜アアンア〜片便りぃ〜
茶屋では都先生の唸り節が延々とリフレインで流れている。
これを毎日聴いている茶屋のおばさんたちは、世界で一番この歌を聴き続けている人たちなのだろう。
足は靴下までぐっしょり。ビニールのカッパはボタンが取れてズタズタ。
おそらく集合場所の茶屋に一番最後に到着したのだと思う。
他のツアー客たちは早々に下山を済ませてすっかりくつろいでいた。
そこで振舞われた明日葉汁。手がかじかんでいたので割箸を折るのももどかしい。
魚のアラと明日葉が入っていたが、味もさることながら椀からのぼる湯気が旨い。
私は案内人が着るブルゾンの背中にプリントされた「のんびりハイク&ウォーク」の文字を睨みつけながら汁を掻き込んでいた。魚の骨に気をつけながら。
帰宅した私は風呂にどっぷり浸かり、たっぷり10時間は寝た。
今、こうして旅の記録を書きながらも身体の節々が痛い。
しかもクシャミが止まらず、微熱もある。もしや風邪を引いたのかも知れない。
あれで何事もなかったように翌日を過ごせるほど頑丈ではない。
「あいにくの悪天候で残念でした」ということで、
お詫びのしるしにと主催者からアンコ娘の貯金箱が粗品として進呈された。
アンコさんとは大島に伝わるの古い方言で「お姉さん」のことをいうらしい。
セトモノのアンコ娘は郵便局のマスコットに似ていた。
- 広島スケッチ2009.8
- GO WEST
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2009.08.07 Friday
朝から慌しい。
昨日、飲み会をハシゴしてしまい旅支度を断念。
今朝は7時に目を醒まし、テレビをつけながら下着をバッグに放り込む。
どちらにしても女っ気のない旅なので下着兼用の黒Tシャツを数枚にパンツくらい。
“ 大原麗子、孤独死! ”
“ 行方不明の酒井法子。長男、保護確認 ”
“ 八重山地方に台風上陸 ”
テレビのニュースもひどく慌しい。
大原麗子のニュースはびっくりした。このところ顔を見ないなとは思っていたし、
難病のニュースも伝わっていた。
彼女は大女優というイメージはあるが、意外と代表作というものを思い出せない。
東映時代も、それからも映画女優としての勲章は殆どないに等しいのではないか。
『男はつらいよ』のマドンナ役で、
寅屋の店先で寅次郎に別れ際「わたし、寅さん好きよ」と囁くシーンは名場面だった。
やはりテレビ女優なのだろう。私の周囲にも大原麗子好きは何人かいる。
個人的に彼女の最高傑作はサントリーレッドのテレビコマーシャルだ。
例の「少し愛して、ながーく愛して」。演出は市川崑だったか。
そこで臨時ニュース。
“酒井法子、覚せい剤所持容疑で逮捕状 ”
記者会見を早々に切り上げたサンミュージック社長は何かを隠しているようでもあり、
ワイドショー司会者も「何か我々の知らない事実があるようです」と歯切れが悪かった。
職場の先輩たちは昨日の時点で「行方不明ということは、のりぴーもクロじゃないか」
「ガサをかければ大概のことはわかる」
「検査されてもいいように十日くらいは隠れているんじゃねぇか?」
さすが、警視庁のOBたちは口こそ悪いが、本質を見抜く眼力はあるようだ。
テレビでは酒井法子容疑者と呼び方を変えている。
とりあえず仕度は終了。あと1時間ほどで出発する。
八重山の台風はどうだろう。旅に影響がないことを祈りたい。
さて、このたびは新幹線の「こだま」でひとまず関西入りする。
割引プランなので、いつもと違って乗り遅れるわけには行かないのだが、
JR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」プランは「のぞみ」より4000円近く安い。
「こだま」といっても3時間半足らずの旅。
私は個人旅行であれ、仕事の出張であれ、旅の開始は駅弁を食べることから始める。
正直言うと東北や上越の新幹線と比べて東海道線の駅弁は面白みがない。
結局、横浜の崎陽軒や小田原の東華軒という、馴染みの弁当になってしまう。
しかし今回は「こだま」ということで、各駅沿線の駅弁が楽しめるのがいい。
さっそく東海道新幹線の沿線グルメのサイトをチェック。
しかし腹時計を考えると浜松まではとても待てない。
そうなると小田原以西では熱海−三島−新富士−静岡−掛川までとなる。
うーん、さすが駿河の国々。必ず海老が添えてある。
私は過度の海老アレルギーなのだ。こうしてキーボードで「エビ」と打っただけで、
胸焼けがし、耳や喉や目といったあたりの粘膜がムズ痒くなる。
結局、新横浜で崎陽軒の季節弁当+シウマイに落ち着くのだろうか。
今夜は尼崎の宿で一泊する。
第91回全国高校野球選手権の開会式の当日券に並ぶには甲子園に近い方がいい。
開会式は9時から。開門の6時には到着しようかと思う。
前売りを買っていないのは痛恨だったが、大丈夫なのだろうか。
去年の甲子園は大阪桐蔭と報徳という地元同士の対戦で超満員に膨れ上がったが、
当日のみだったということもあるにしても、バックネット裏の席が取れた。
席を選ばなければ何とかなるだろう。
どうやら皇太子殿下も開会式を観覧されるらしい。
そして第一試合の常総学園−九州国際大付属の試合は観戦する。
自宅が茨城にある職場上司から「常総の応援よろしく」といわれた。
第一試合が終れば、すぐに新神戸から新幹線で広島へ。
明日、明後日で新球場のマツダスタジアムにてカープ戦を観る。
地元の虎友が、試合終了後に飲み屋を案内してくれるという。
一昨年の横浜スタジアムでの試合の後に福富町にてグラスを傾けたことを思い出す。
その他の空き時間ではせっかく広島に来たのだからと、行きたいところは満載。
しかし希望はあるが、計画というレベルまでいっていない。
今書いてもいいのだが、広島の夜に泥酔して計画倒れになる恐れもあり、
後日にゆっくりとあげることにする。
細かい計画は、宿の床でゆっくりと考えてみるとしよう。
前職のからみで大阪には会っておきたい人もいるので、そこも悩みどころ。
そういえば広島を同行する他2名にはチケットを郵送したものの、
待ち合わせ等の打ち合わせを一切していないのだが大丈夫だろうか(笑)。
それでは出発時間も近づいてきたので、チケットや切符の確認などをするとしようか。
取り急ぎ、出発前の走り書きでした。
- 神無月の夜空に咲く大花
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2008.10.05 Sunday頭の上でパッと咲いて重低音のドーン。
夜空を彩るのはほんの一瞬、残像は白煙と化して散り際の余韻を醸す。
いやはや堪能させてもらった。
茨城県は土浦全国花火競技大会。
豪快無比の10号玉の迫力。
流麗なメロディに乗せて繰り広げられるスターマイン。
花火師の粋と遊び心満載の創造花火。
彼岸過ぎの澄んだ夜空に咲く花火というのもなかなか一興だったが、
ツレに誘われたときには正直迷った。
失職という局面に立っていたこともあったが、何よりも土浦は遠すぎる。
まして首の皮一枚の虎が決死の関東ツアーの真っ最中。
6人で1万八千円の桟敷の桝席を確保したというが、
花火を観るのに3千円も奮発することにも引っ掛かりを感じていた。
しかし観に行ってよかった。
この大会は花火師たちが腕を競い、優勝者に内閣総理大臣賞が贈られるというもの。
実際、花火は様々な記憶を連れてきてくれるのだが、
こういう花火大会は初めて観る。
花火で真っ先に思い浮かぶのは『人生劇場』の飛車角。
侠客渡世から足を洗った飛車角は花火師となって片腕を吹っ飛ばす。
その一瞬のために地道に丹精を込めて作り上げていく仕事に、
作家の尾崎行雄はある象徴としての男の美学を見出したのだろう。
しかし当然のことながら花火はあっけなく散る潔さに本質があるわけではない。
あくまでも大輪の華を夜空に咲かせることが魅力なのだ。
散りゆく美学などは咲かせることの尊さのオプションでしかないのではないか。
またも人生にひとつ句読点を打つ羽目になった秋ではあるが、
私は一発の花火に象徴させるほど人生を華々しく生きてきたわけでもない。
「昇り分砲付四重芯の華」
「昇曲導三重芯散華」
「昇り曲付四重芯変化菊」
競技としての花火は形の美しさが評価される。均整が崩れてはならない。
確かに丸くおさまらない花火は、こういう大会ではなおさら歪つに感じる。
しかし多少、形が崩れても裾を延ばして着地せんばかりのしだれ柳のように、
誰かに精一杯の余韻を残す人生を目指してみるのはアリなのではないか。
ふとそんなことを思ってみた。
- 『ちりとてちん』 ロケ地めぐりの旅 【二日目・小浜編】
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2008.08.23 Saturday
甲子園準々決勝観戦、トラ友たち(というより、もう普通に友達ですけどね)との楽しい酒席を間に挟み、8月16日、ビジネスホテル関西を朝7時にチェックアウトして、いよいよ若狭・小浜へと向かいます。
実をいうと長いこと福井は私の本籍地である新潟から見て、越後−越中−越前という北陸道の並びで把握しており、関西から琵琶湖を上がったところにあるというイメージがまったくなかったのです。ですから大阪駅から7時41分発の特急サンダーバードで出て1時間半足らずで敦賀に到着したときは少々面食らいました。
●敦賀駅のホーム
さて貧乏旅行ゆえに小浜まで特急を使わないで行くつもりが、特急に乗れば敦賀から小浜線に乗り換える待ち時間が50分くらいあることから、急遽、敦賀で一旦下車してタクシーで「気比の松原」に向かうことにしました。まったく、旅の空に出てしまうと財布の紐が緩みっぱなしになってしまうのは困ったもの。
●気比の松原
「気比の松原」は静岡「三保の松原」、佐賀「虹の松原」と並ぶ「日本三大松原」といわれる景勝地ということですが、そんなことよりもなによりも、ここは和田友春のデートの定番でありまして(笑)、求愛する友春を喜代美が殴った場所です。尚、喜代美は思い出す限り子供時代にも友春を1回殴り、その後2回、小草若と小草々を1回づつ殴っていますので、「朝ドラ史上、いちばんヘタレなヒロイン」の実体は「男を計5回も殴った朝ドラ史上、稀にみるバイオレントなヒロイン」の側面を持っていますが、どうでもいいですね(笑)。
タクシーの運ちゃんに待ってもらって携帯のカメラで撮影。ちょうど海水浴の時期で、しかも夜には花火大会ということで海岸にはあちこちにテントが張られており、景勝地もへったくれもあったものじゃございませんでした。松の木の陰からシャッターを押していると水着のおねぇちゃんを隠し撮りしているオヤジという風体になったので早々と退散しましたが、一応、運ちゃんにお願いして石碑の前で記念写真。結局、自分が写りこんだ写真はこれだけになりました。
運ちゃんとは車中で甲子園談義。「最近、敦賀気比高校の名前聞きませんねぇ」「巨人の内海がいた頃が全盛やっただけど、ほとんど福井の子はおらんでね〜」
ここで駅弁を購入して小浜線に乗車。ドラマではわざわざディーゼル車両を走らせたというこだわりぶりでしたが、実際は電化されています。
●へしこの炙り寿司
駅弁はさすがに全国区の富山の「ますのすし」が大量に売られておりましたが、チョイスしたのは「へしこの炙り寿司」。へしこは鯖を糠で漬けた保存食で、酒のあてにもいいのでしょうが、ごはん好きにはたまらない一品で私の大好物ですが、この弁当は上手におぼろ昆布で包むことによって、へしこ独特の臭みをかなり抑えておりました。へしこの風味を思いっきり楽しみたい人にはマイルドすぎるかもしれません。しかしこれで羊羹を大量に作った糸子おかあちゃんの独創性は、やがて奈津子さんを和田家に近づける遠因となるわけですね(笑)。
ここで「んが〜」と電車の天井を仰いだのは、駅弁に高じるあまり、あの感涙の名場面「小浜のど自慢大会」の舞台となった長井浜のロケ地を喜代美目線で車窓から捉えることを忘れてしまったこと。結局、長井浜は小浜駅の向こう側だということを知ったのですが、このときは「やらかした」と思いました。ここでレイニー氏の「和田家の来阪ルートは福知山経由となり遠回りやね」という言葉がようやく納得できました(笑)。
●小浜駅
午前11時前、ついに小浜駅に到着。ここでは家出同然に実家を飛び出してホームで不安げな喜代美に小梅おばあちゃんが現れて三味線を渡す場面に使われました。このシーン、その直後の長井浜のど自慢の号泣シーンの前段として忘れがちな場面ですが、改めてDVDを見直すと、喜代美が破ってしまった三味線の皮をちゃんと張り替えた小梅おばあちゃんが、旅立つ孫娘へのエールを贈る粋な場面でしたね。
●わかさ小浜観光案内所
駅の真横に「わかさ小浜観光案内所」がありました。ここの管理を竹谷さんがやっているのかどうかわかりませんが、入り口には「ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます」とあったのはお約束としても、放送終了から五ヶ月、いまだに『ちりとてちん』一色という按配でございました。
●和田家住民票
ここで和田家の住民票を300円で購入(笑)。塗り箸の透かしが入っています。
案内所のおばちゃん曰く「もうあやかれるものはとことん使う」のだそうで(苦笑)、「これからは先はオバマさんや」だそうです(爆)。まるで発想が小次郎のおっちゃんみたいです。
●市内観光周遊バス「ちりとて号」
さて、ここで私は観光協会が市の予算で走らせている「ちりとて号」という周遊するバスを予約しておりまして、ここからバスで観光に出かけるわけですが、当初、予定していた「箸のふるさと館」はお盆で休館ということで、予定変更して「さば街道の出発点になりました」とのこと。いづみ町商店街は絶対に行きたかったので、むしろ有難いというものです。さらに予定変更のお詫びに若狭塗り箸をいただきました。
●若狭塗り箸
おそらく一時期、和田塗り箸店の店頭にも置かれていた廉価品でしょうが(笑)、観光協会のはからいは悪くないと思いました。竹谷のおっちゃんもなかなか粋です(違っ?)
20人乗りのバスに乗客は9人。このうちカップルが女子高校生ふたり連れを含む老若男女4組。つまりは独り者は私だけでございました(苦笑)。
こんな具合で11時10分出発で16時過ぎに小浜駅に戻る「ちりとて」号は小浜観光に出発したのでありました。
“海のある奈良”と呼ばれる小浜。「ちりとて号」といいながらも小浜でのロケ地をつぶさに回るのではなく、あくまでもガイドつきの周遊バス。当初からロケ地めぐりという目的を持ってしまうと物足りないだろうなという予感はありました。実際、鳳燦山羽賀寺の十一面観世音菩薩など国の重要文化財などもめぐるのですが、ドラマとは無関係。
ただ現実的な問題としては詳細に計画を練る時間がなく、殆ど無防備な旅立ちだったので、周遊バスはてっとり早いというのはありました。そもそもこの旅は、大阪での友人たちとのアポや交通手段の計画、ホテルの予約から甲子園観戦まで、すべては小浜観光協会に電話をしたことが初端となったわけです。
しかし、ここは両和田家、野口家の面々が過ごしたふるさと・小浜。
『ちりとてちん』の重要なテーマである「ふるさとへの回帰」と「伝統の継承」を肌で味わうためにも、小浜という、自分にとって初めての土地の外堀は抑えてもいいのではないかとも思うことにした次第です(笑)。
最初に向ったのは「御食国(みつけくに)若狭おばま食文化館」。
リーフレットの解説によると「若狭・小浜の食に関する歴史や伝統工芸を体感できるミュージアム。1階にはヒロインの実家の外観、2階には塗り箸工房のセットを再現してあります」とのこと。実際、塗り箸の研ぎ出し体験や出演者のサイン色紙などが展示してありました。
●箸の端
ドラマを観ていない人にはなんのこっちゃ?と思われる写真でしょうが、これは原木から塗り箸を作る過程で不要になった切れ端、木片の屑です。いわゆる少年時代の友春が学校で人気者になるための必須アイテム(笑)。たかが木の切れ端と思わせつつ、小梅おばあちゃんが正臣さんの経営する製作所の存在を快く思っていないことを端的に知らせるとともに、正平の手先の器用さと恐竜好きという伏線を生んで、やがて草々に辿り着くという魔術のような藤本有紀の脚本の中で、「草若師匠のテープ」「A子とB子が交換した石」と並ぶ“3大アイテム”(←勝手に命名)のひとつとなりました。
●ドラマ出演者色紙
放送開始当初は個人的には見たことのない役者ばかりが登場したドラマでしたが、彼らが次第にお茶の間の人気を得て行く過程が、物語の進行とシンクロして役に濃度と深みが増し、まるでドキュメンタリーを観るような醍醐味を感じさせてくれたのも『ちりとてちん』の大きな魅力でした。
米倉斉加年氏の色紙は押印つきで、さすが年季を感じますが、虎ノ助氏のサインには思わず笑ってしまいます。色紙の日付は2007年11月16日。まさか一年足らずして実質、主演作となるスピンオフが放映されるなど、本人は夢にも思っていなかったに違いないでしょう。
●和田家セット再現
なお、塗り箸店の入り口の木札は〔準備中〕となっていましたが、もちろん裏返して〔営業中〕にしてみたのはいうまでもありません(笑)。
●高座
『ちりとてちん』はNHK大阪(BK)の制作ということで、関西圏以外の視聴者は特番やイベントに関しては諸々、アウェイの悲哀を味わうことになりました。このセットの再現にしても、それなりにしっかりと作られてはいましたが、NHK大阪のスタジオで実際にセットを見学されたファンが得た臨場感にはまったく及ばないでしょう。しかし市の管理施設にこのような展示物が作られていたことで、いかに小浜市が市を上げてドラマをバックアップしていたのかということがわかります。もっともドラマの方が市をバックアップしていたという見方もないわけではないですが(笑)。
●いづみ町商店街
若狭湾で水揚げされた鯖を京都まで運んだという「鯖街道」の起点となった場所。ガイドのおじいちゃんさん曰く、今はシャッターが下りている店舗もあるが、昭和三十年代には魚市場として大層な賑わいだったということ。このおじいちゃん、若い頃に実際に鯖街道を上がって出町柳まで歩いたそうですが、たっぷりと2泊は必要だったようです。そのあたりのことを色々と尋ねたところ、今は小浜も海産資源が枯渇して鯖も千葉沖や三陸産のものを運んでいるらしく、焼き鯖に至っては98%がノルウェイ産だということ。まったく…聞かんでええものは聞かん方がよかった気もします(苦笑)
●焼き鯖
「若狭フィッシャーマンズワース」で念願の焼き鯖を戴きました。「戴きました」というよりも喰らいついたという感じでした。ドラマに幸助さんが登場して以来、どうしてもこいつが食いたくて仕方なかったのです。
そういえば小草若に小馬鹿にされた草々が「焼き鯖食いにここに来たんや!」とうそぶく場面がありましたが、「ロケ地めぐり」といいながらも小浜に来た目的の半分は焼き鯖でした。ノルウェイ産だろうが何だろうが(笑)、ボリューム満点!青魚好きの本懐を遂げた気分で、定食で食べる塩焼きや鯖味噌にはしつこい味のものもありますが、脂がほどよく抜けて大変美味しゅうございました。(ただへしこ炙り寿司との連チャンでしたので一週間は鯖を食わなくていいやとは思いましたが…)
●マーメイドテラス
失恋の傷を抱えて帰郷した喜代美と、もう一度落語を聞かせようと小浜にやって来た草々。ふたりが再会する場面に使われました。喜代美と草々が左右から現れて、この人魚の像で鉢合わせになるというシーンでしたが、あの頃の草々の荒々しさ、次第に人となりが明かされていくのは物語初期の楽しみのひとつでしたね。
●三丁町
小梅おばあちゃんが芸妓さんとして鳴らした有名な色街です。そのうち下の写真は小学校時代の喜代美たちの通学路でも使われた路地です。
福井地震の影響もなく、とくに大きな災害に遭っていない土地柄だけに、古き佳き時代の面影が残っており、千本格子や紅殻格子を施した家並みが並んでいます。どうやら市をあげて街の景観を保存することになったそうで、格子のリニューアルには市から補助金が出るとのこと。
さて正太郎おじいちゃんは小梅さんに会うため、給料をここにつぎ込んで通い詰めたのでしょうか。ドラマの大詰めでは喜代美と清美の命名の秘密も明かされており、その意味でも両和田家にとっては重要な意味を持つ町だといえそうです。
●常高寺石段
下校途中に喜代美と順子がここの石段に座り、卒業後の進路を語り合う印象的な場面で使われました。石段の上には小浜線の線路があり、彼女たちの背中を列車が横切るという凝った映像で、喜代美の近い将来を見事に暗示していました。
石段の頂上に遮断機のない踏み切りがあり、ちゃんと列車の通過時間板もあります。
案内板によると常高寺の境内は線路の向こう奥まで拡がっています。
これは石段からの風景。彼女たちはこんな風景を見ながら語り合っていたわけです。遠くに若狭湾を臨むことが出来ました。
「ちりとて号」はこのあと鳳燦山羽賀寺へと向います。ただここは前述したようにロケ地とは無関係の場所であるため、写真のアップはしませんでしたが、ご本尊である国の重要文化財、十一面観世音菩薩像は見事なものでした。好きな仏顔でした(笑)
ただこの羽賀寺、ドラマには出てきませんが、定期的に上方の落語家を招き「ちりとて落語会」という催し物が開かれたということです。
●「ちりとて」号
バスは16時に小浜駅前に到着して散会。
もちろんバスの窓から小学生の喜代美がラジカセを持っておじいちゃんが入院する病院まで走った「あさかぜ商店街」や、海岸線を走るたびに西津浜の突堤や橋が車窓越しという不自由さもあり、ロケ地めぐりも大阪編と比べれば浅いものになりましたが、甲子園焼けした肌がヒリヒリと痛み出し、疲れも溜まっていたのでバスでの周遊というチョイスは正解だったと思います。
私の持論として「後ろ髪引かれるのが旅の醍醐味」というのがあって、西津浜も若狭総合公園も梅丈岳も長井浜も次回の課題として、この旅の幕を引くこととなりました。
思えばレイニー氏ではありませんが、放送が終了したテレビドラマのロケ地をめぐる旅などは酔狂以外の何ものでもないかも知れません。結論としては、そこまでさせた『ちりとてちん』が凄かったのだということに尽きるのですが(笑)
この齢になってそういう酔狂に身を投じてみるのは楽しいものでした。今回はたまたまロケ地めぐりという旅でしたが、酔狂を大真面目に取り組むこともアリなのではないかと思いましたね。
研いで出てくるのが塗り重ねたものだけなら、そこに「酔狂」という模様が浮かぶ人生なんてのも、なかなかオモロイのではないでしょうか。
- 『ちりとてちん』 ロケ地めぐりの旅 【一日目・大阪編】
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2008.08.22 Friday昭和15年に実験放送された『夕餉前』という12分のミニドラマが日本のテレビドラマの起源とするならば、そこからあまた無数のドラマがお茶の間に流され続けてきた時間と蓄積の中で、おそらくは史上最大最強で、なおかつ未曾有とも思える歴史的な事件となったNHK連続テレビドラマ小説『ちりとてちん』の放送が終了して早、五ヶ月近くが経とうとしている(爆)。
さらにいえば、実際、昨年の10月から今年の3月まで、朝7時半のBS-2、7時45分からのBS-h、そして8時15分からの地デジ総合の都合3回の放送を観ては、溢れる涙を振り千切りながら出勤し、電車での思い出し泣きを堪えながら、土曜日の1週間分一挙放送をテレビの前で鎮座しながら肩を震わせていた半年間こそは、自分の人生の中でも栄光の半年間として永く記憶に留めておくべきものだと心に決めている(爆2)。
いや半分は冗談みたいな書き出しですが、以前も書いたように『ちりとてちん』を観ていないからといって「人生損している」とまではいいませんが、私は少なくとも「人生を得した」気分ではいます。これは底抜けに〜本気です。
その『ちりとてちん』の舞台となった大阪と小浜のロケ現場に行って、少しでもあのドラマの残り香を嗅いでみたいという思いが次第に高まり、せっかく彼の地に行くのだからトラ友であり無類のチリ中としてこの辺境ページにコメントを寄せてくれる大阪在住のレイニー氏に連絡。打ち上げに一献酌み交わすのも一興かと思っていたところ、なんと大阪ロケ地めぐりに帯同してくれるとのこと。
氏はトラ友としてはDさんと呼んでおりますが、お盆の最中に時間を割いてくれることには感謝でございました。しかしその実体は氏の壮大な計画に私の方が絡みとられていたということが明らかとなりまして(笑)、その一部始終は私の不案内なレポなど足元にも及ばない詳細さで氏のブログにアップされておりますので8月16日付けで「酔狂ツアー」というタイトルをご覧いただけたらと存じます。
【ここをクリックしてくだされ】
現場写真ばかりではなくドラマ画像のキャプションや地図まで入れ込んであるという、すさまじいものではあります(笑)。
この「酔狂ツアー」を参考に足跡を羅列してみます。
1.大阪駅
●「桜橋口」
糸子おかあちゃんが喜代美と別れ小浜に帰る。
2.西梅田→肥後橋 【地下鉄】
●「錦橋」
失意の草若が天狗座に背を向けて階段を上がる。
●「フェスティバルホール」
天狗座の原型。
●「肥後橋交差点」
喜代美が「崇徳院」の再現映像で歩く
3.肥後橋→土佐堀2丁目 【バス】
●「昭和橋」
草原宅から延陽伯へ走る。
4.川口→九条新道 【バス】
●「吉林菜館」(中華料理屋)
延陽伯の原型。
5.大阪ドーム前千代崎駅→西大橋駅 【地下鉄】
●「飯田ビル」
奈津子のマンション(住居兼仕事場or宝の山)
●「大黒橋」
延陽伯で出前に出る草々を追う喜代美がへたり込む場所。
6.難波→淀屋橋 【地下鉄】
●「水晶橋」
喜代美と清海が何度か歩く。
●「中之島倶楽部」
草々が喜代美にご馳走する“世界で2番目に美 味しいオムライス”
●「中之島公会堂前」
喜代美が辻占を試みるが、偶然現れた清美に「B子!」と呼ばれる。
7.北浜→南森町 【地下鉄】
●「天満天神繁昌亭」
●「大阪天満宮」
喜代美が「愛宕山」に誘われて草若と出会う。
8.JR天満宮前→JR大阪城北詰 【JR】
●「川崎橋」
東京行きを決意した清海を追って、喜代美が駆けつけて別れを惜しむ。
●「大阪城新橋」
草々が身投げしたのではないかと喜代美が勘違 いする。
●「ホテルニューオータニ」
初めて大阪に出た喜代美が泊まろうとして逃げ出す。
そしてホテル外のベンチで座り込み、おっさんからハンバーガーを食えといわれる。
9.OBP→森ノ宮→緑橋→今里→新深江 【地下鉄】
●「トコリン」
理容イソムラの原型。
10.今里→谷町9丁目 【地下鉄】
●「高津宮」
落語「高津の富」の舞台。
草々と清美が「崇徳院」の再現シーンを演じる。
11.谷町9丁目→東梅田 【地下鉄】
●「スカイビル」
小草若が尊健を殴り倒した場所と見当をつけるが…
12.スカイビル→北野 【赤バス】
●「源光寺」
おかみさん志乃が眠る場所。
ここで草々、草原、四草が徒然亭再興を誓う。
炎天下の大阪市内を五十絡みのおっさん二人が朝の8時過ぎから夕方過ぎまで大汗流しながら延々とめぐり倒したわけですが、地下鉄駅までの階段の乗り降りとかなりの徒歩も加味されるので、とても『ちりとてちん』を好きでなければ体力的にやっていられないばかりか、喜代美がチャリンコとぶつかった道路の写真に撮りながら、これはロケ地めぐりではなく、現場検証というものではないかと思い至り(笑)精神的なタフさも求められる一日となりました。
しかし仮に自分の単独行であった場合はおそらく天満宮あたりをうろついて終わっていたのは必定であり、これほどの精緻にロケ現場を巡ることが出来たのはひとえに氏のおかげであり、誠にありがたいことでございました。
なにせ天狗座の原型として使われたフェスティバルホールの周辺は典型的なビジネス街。とても近くに延陽伯や四草のボロアパートがあるロケーションではなく、完全に途方に暮れていたことでしょう。
そもそも映像関連の仕事について二十数年。撮影現場のからくりというものもある程度はわかっていたつもりでしたが、天満の草若邸の周辺近所にすべての風景が集まっているものだと思い込んでいたのですから、私のちり中ぶりもそれなり重度だったということでしょうか。
氏は男ばかりで打ち上げても味気なかろうと、同じくトラ友のK女史を誘ってくださったのですが、そのKさんのシュッとしたお姿を拝見した瞬間に、サウナで汗を流しておいて心からよかったのはいうまでもありません。
お時間を割いていただいたKさんにも心より感謝するとともに、翌日のトラ仲間たちにも楽しい時間をありがとうといわせてもらいます。