- ハヤト瓜をいただいた
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2009.11.08 Sunday
今まで職場の先輩方から沢山のものをいただいている。
鹿肉、塩辛、大葉、インゲン、ニラ、トウモロコシ、ミニコーン、ズッキーニ、谷中生姜、のしイカ、スイカ、シシトウ、トウガン、かぼちゃ…etc。
本当にありがたいことなのだが、何せ自分が作れるものはカレーやせいぜい炒め物。
煮物や和え物で一皿を仕上げるなんて芸当は出来ないし、チャレンジしたこともない。
なので、そのまま食べられるものを除き、いただきものの8割近くは豚バラ肉との炒め物で消化してきた。
この度いただいたのがハヤト瓜。生まれて初めてお目にかかった。
味はもとより、中身がどうなっているかも想像がつかない。
ネットで検索してみると、浅漬けなどの調理法が多数掲載されていた。
「お酒のあてにサイコー!!」などのフレーズが飛び交っている。
面白いなと思ったのは混布茶で漬けるというレシピ。
これは試そうと思いつつも、先日より新米が手に入っているのでやはり主食としたい。
そうなると例によって肉バラ肉との炒め物になるなと思い、スーパーで特売切り落とし350gを購入。早速、2個ほどビーラーで皮を剥いてみた。
ひと皮剥くと思った以上にぬめりがある。手が滑ってビーラーが巧く使えないほど(不器用ですから…by高倉健)
皮を剥いて真っ二つにしてみると思ったよりも種が少ない。
それを短冊に切ったものをひとつ齧ってみた。
ぬめっとした表層とは違いシャキシャキとした歯ごたえ。
なるほどこれなら浅漬けにするのに最適なのだろう。
逆にバラ肉と炒めて本当に美味いのか?という疑問も湧いてくる。
再度、ネットで検索。
すると「ツナと一緒に炒めて塩コショウ、醤油で出来上がり」というのを見つけた。
ということでストックしていたツナ缶をふたつ開けて、油ごとフライパンで炒め、
瓜のサクと、アクセントで輪切りにした鷹の爪を投げ込み、塩コショウで調整。
最後に醤油を少々ふりかけて完成。
瓜は炒めてへなへなになるのかと思いきや、シャキシャキしてのは予想外だった。
丼に開けると見た目はイマイチ。
…そして、味も微妙だった(爆)
炒めたツナがボロボロとこぼれて箸ですくいにくく、瓜との一体感はゼロ。
ご飯のお供という感じではなかったので、結局、キャベツとトマトと混ぜ、ドレッシングをかけてサラダとして食べた。
これは意外とイケた。ハヤト瓜とマヨネーズテイストはかなり相性がいい。
これならば、最初から瓜だけ炒めて直接ツナをかけてもよかったのではないか。
いただいたハヤト瓜はまだ3個残っている。
他に私でも出来そうな簡単レシピがあればご教授願いたい。
以上、クッキングの記事などを載せてみました。
おお、ブログって感じ(爆)
- ミステリー資料館 「島田荘司」フェア
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2009.09.11 Friday
先日、池袋の光文社ビルに設置されている「ミステリー文学資料館」において開催する、「疾走する本格の騎士−島田荘司、その挑戦と冒険−」というフェアに行って来た。
二年ほど前、仕事で外回りの最中にこの資料館を見つけたとき、
「内田康夫フェア」をやっていたので、ちょいと覗いたことがあった。入場料金は300円。
およそ25坪くらいの敷地には古今ミステリーの蔵書棚があり、椅子やテーブルも用意されているので、そこで閲覧や読書も出来るようになっている。
期間限定で作家の特集もやっており(むしろそれが目玉なのだと思われるが)、そこでテーマとなる作家のパネル写真や生原稿などが展示され、私が内田康夫で覗いたときには関連グッズなども即売されていた。
現在、私は「ミステリー文学資料館」から歩いて5分の距離にある職場に転職した。
だからほぼ毎日のようにその施設の前を通っているので、機会があれば再訪しようと思っていたのだが、これが案の定、いつでも行けると思うとなかなか足が進まない。
ある意味で待望の「島田荘司フェア」が開催されたのだが、結局5ヶ月間も看板もやり過ごし、いよいよ終了間近となったときに漸く足を踏み入れたという次第だった。
さて、当ブログ「上111下64」はこれ自体が独立したもののようでいて、一応体裁としては「勃ち待ち」なる私のHP内のひとコマということになっている。
そこに【読書道】なる“なんちゃって書評”のページがあるのだが、そこで島田荘司の読書を着々と進行させている。
島田荘司・1948年生・広島県出身。
松本清張などの社会派推理小説が優勢だった当時のミステリー界に「新本格」推理ジャンルを切り拓き、綾辻行人、歌野晶午、法月綸太郎らを世に出すなど、80年代後半から現在のミステリー隆盛に繋がる流れを創った。このことから「新本格」ミステリーの祖とされる。(wikipediaより抜粋)
奇特にもこのブログに辿り着いてしまった人で、島田荘司の小説を未読である方がおられるのなら、これを縁としてぜひ彼の処女長編『占星術殺人事件』を読んでもらいたい。
おそらくBOOK OFFに行けば105円で売られているはずだ(笑)。
とっつきにくい小説かも知れないが最初の50ページも読めば、あとは最後まで一気にいける面白さは保証してもいい。とにかく全編が煌くような謎に満ちた小説なのだが、最後に名探偵・御手洗潔によって解明されるトリックには「あっ」と驚くに違いない。
その『占星術殺事件』を読み終えても体力が残っていたならば(笑)、次に『斜め屋敷の犯罪』をお薦めしたい。このトリックは凄い!びっくりする。「絶対にあり得ん!」と思った。
今年の2月に他界したマジシャンでもある直木賞作家・泡坂妻夫氏をして、「そのトリックたるや、久々に久々に本を読んで不覚の叫びをあげてしまったほどの、突飛さである」といわしめたほどだった。
このたびの「島田荘司フェア」ではこの『斜め屋敷の犯罪』の舞台である「流氷館」の詳細模型が展示されていた。この写真では何が何だかわからないだろうが、原作を読んだ人間ならば模型を見ているだけで楽しくなる。
というか思わずニンマリしてしまった。
もちろんこのブログで私なりの「島田荘司研究」をおっ始めようという気はない。
なによりも完読した著作が少なすぎて話にならない。
だから島田荘司氏の幼少時代から現在までのパネルがずらりと展示され、雑誌の表紙絵やミュージシャンとして発売されたアルバムのジャケットなどをファン目線でそれを楽しむほどではなかったものの、少ない読書歴にもかかわらず『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』の生原稿が展示してあったのは嬉しかった。
島田荘司は現在ロサスアンゼルスに執筆拠点を置き、日本のみならずアジア全体へ「本格もの」の発展に尽力しているという。なるほど一見、小説家というよりも冒険家かミュージシャンともいえる風貌で、異端であるがゆえにいかにも若い推理作家に慕われ、それを受け止める兄貴肌の人なのだろう。
まだ還暦を過ぎたばかりのバリバリの現役であるがゆえに、回顧風の展示会といってもピンとこないところもあったが、十分に読書意欲を喚起させてもらった。
- あー、25年ぶりに映画撮りたくなった
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2008.11.04 Tuesday
前記事でイングラムがくれたコメントからお題を頂戴させてもらいます。
高校時代、大学に受かったら映研に入りたかったというのはありました。
(受験に滑ったら今村昌平の日本映画学校に行こうと思っていた)
それはかなり強い願望でしたが、当時は不良性感度濃厚の映画ばかり観ていた影響で、
鋭い目つきに短めのパーマと、鼠先輩のような風体でキャンパスを歩いていたものだから、
映研の受付けに辿り着く前に、「日本精神研究会」なるサークルに拉致られてしまい(汗)、
早くも映画青年としての希望は入学式直後の段階で断たれたという経緯がありました。
まあ、その作品を学園祭で観たときには入部しなくて正解だったと思いましたが。
それからしばらくしてバイト仲間で映画を撮ろうという話が出来上がって、
何とか頑張ってFUJIの8ミリカメラ(サウンド8)とエルモ社の映写機を月賦で購入。
“緋桜団”なる映画制作サークルを結成して、手始めに近所の森の中で20分ほどのアクション映画を撮りました。
内容は各自がモデルガンを持って泥だらけになりながらドンパチと森林を転げまわるという、
実に他愛ないサイレント映画でしたが、現像があがり、白壁に映写したときの昂揚感は忘れられません。
カッターとテープがついて手回しで画像が覗ける安価な編集機と挌闘しながら、
フィルムを切ったり繋いだりすることに朝まで没頭したときの楽しかったこと。
70年代の終わり頃から「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」というイベントが始まり、
学生映画のちょっとしたブームもあって、全国の映画サークルがそこを目指したわけです。
当時、池袋文芸地下で行われたPFFの熱気は凄まじく、連日大入りの大盛況。
「映画が撮影所ではなく我々の手から誕生する時代」という妙な共同幻想が膨らむ中で、
先行していた大森一樹や長崎俊一に続けとばかり、PFFから森田芳光、石井聰亙、今関あきよし、犬童一心、手塚真、飯田譲治、利重 剛、松岡錠司、黒沢 清、山川直人、中島哲也、塩田明彦、橋口亮輔、塚本晋也、矢口史靖らが輩出。
そんな中で、我が“緋桜団”も近々にはPFFに乗り込むぞとばかり、
闇雲に撮影しては切った繋いだを繰り返していたのでしたが、なにせ映画は金が掛かる。
8mmといってもフィルム代、現像代は馬鹿にならない。
『人斬り雀』というタイトルの脚本らしきものは書いたものの、
全員が内容に賛同するわけでもなく、期限のない宿題を各々が憮然として持ち帰る。
そのうち、メンバーが次々と運転免許を取るとバイト代も車遊びに費やされ、
デート代も馬鹿にならないから、もっと稼げるバイト先に鞍替えしたので全員がバラバラ。
そうこうしているうちに月賦で買った自慢の映写機も、
悪い仲間が手に入れたブルーフィルムの秘密上映会として、生唾を飲む音ともに友人宅の襖にめがけて光を放つのみ。
そのうち、お決まりのゼミだ、卒論だ、就職だとなって自然消滅してしまうというお粗末。
結局、8mmカメラも映写機も最後の仕事は卒業旅行でしたね。
それ以来、ダンボールに仕舞われたままミイラのように長い眠りについていたのを、
ビデオ屋をやっていたとき、映画学校に通っていたバイトにくれてやりました。
さて、脚本だけ書いた“緋桜団”幻の作品『人斬り雀』。
その脚本もどこかに消えてしまったのだが、何故か主題歌だけは残っていて(爆)。
G、Em、Am、C、Dmという簡単なコードだけで作詞作曲した。
過去の恥をこの際だから晒してしまいましょう(呆)
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人斬り雀
よたれ、与太つく世間の裏で
街の灯りが目にしみる
なんだか今夜は寒そうに
ぼんやり星が泣いていた
泣かせてくれるな人斬り雀
のらり、野良つく雨ン中
痩せ犬 背中をついてきた
弱い犬ほどよく吠える
やくざなこの身を見てるよな
笑わせやがるぜ人斬り雀
どうせ、おいらはやくざもの
昨日を棄てた虫けらよ
思いを馳せる明日もなく
今日も血まみれ泥まみれ
人で無しよと人斬り雀
おわれ、追われて果てしなく
とべない雀の行く末は
故郷の空を思い出す
飢えて乾いて傷ついて
それでも死ねずに這いつくばった
ながれ、流れた懺悔花
死に花 きれいに咲かせよか
今さら未練もないけれど
捨てたあいつが目に浮かぶ
果てて散りましょ人斬り雀
果てて散りましょ人斬り雀
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これ、今でも歌えます。名曲です(笑)。
今はギターもないな…。
- 「読書の秋」よ
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2008.10.28 Tuesday
お盆の頃あたりから、本をパッタリ読まなくなった。
読書レヴューめいたページを持っていながら、何という怠慢だろう。
実際、ここのところは人が作った物語を享受するよりも、
旅、タイガース、失職、再就職と自分自身の物語を消化するのに手一杯だった。
7月には9冊読んだのに9月はとうとうゼロ。
この分では10月もゼロを更新するのかも知れない。
いや、電車通勤で往復3時間。本くらい幾らでも読めるのだろうとは思う。
結局、本を読むということを習慣には出来ない性分だったということか。
本で思い出すのが、中学の時に近所に住んでいた同じバスケ部のI君のこと。
放課後の練習でクタクタになりながら、I君とは帰り道で本について語り合ったものだ。
I君はバスケでは補欠どころかベンチにも入れない運動音痴だったが、
読書量はもの凄かったし、何よりも活字を貪欲なまでに愛していた。
中でもエラリー・クイーン、アガサ・クリスティは全読するほどのミステリー好きで、
私がこうして青息吐息でも読書ページを継続しているのは中学生のI君の影響が大きい。
しかし、対外試合で移動中の電車内でも読書に余念がないI君を後ろから覗き込むと、
シェイクスピアや夏目漱石だったりすることもあった。
何故、こんな彼と本についてあんなに夢中で語り合えたのかが不思議で仕方がない。
なにせこちとら中学の時には宇能鴻一郎、川上宗薫、泉大八たちのエロ小説をベッドの下に隠してウハウハいっていたような有り様だったのだ。
それから何十年が過ぎた今夜のこと。
アパート近くの古書店「ロシナンテ」の明かりに惹かれて店内に入り、
久々にワゴンセールに並んだ文庫本を漁ってみた。
一冊105円。三冊まとめると250円。
実は「ロシナンテ」のワゴンセールでは中島らも、吉田修一、辺見庸、田口ランディ、江国香織という未読の作家達と出会っている。
ちょっとした冒険を試みるには一冊83円のリスクは大いに魅力的なのだ。
ワゴンの色褪せた文庫本を眺めているうちに久々に読書欲も疼きはじめて、
大した意味もなく、村上春樹、辺見庸、椎名誠、村上龍、山田詠美の著作を手にとり、
あと一冊で500円か…などと思いながら文庫本の背表紙を追いかけていくと、
目に止まったのが、夏目漱石の『こころ』。
その瞬間、何十年かぶりで近所のI君を思い出した。
実は中三の夏過ぎに部活を引退してから、I君との交流はピタリと止まってしまった。
別に何か思い当たるようなことがあったわけではない。
思春期の頃のありがちな話としても、どちらかといえばお互いを避けるようになり、
近所でI君を見かけてもそのままやり過ごすことが普通になっていた。
かつては日曜日に隣駅の古本屋まで行って本を漁っていた仲だったにも関わらずだ。
(もちろん、山のように買っていたのはI君で、自分は手ぶらで帰ることが多かったが)
彼は『吾輩は猫である』は何度読んでもクスリとさせてくれるといっていた。
ならば読んでみようかと何度か手にとるのだが、そのつど最初の数頁で挫折している。
『坊ちゃん』は夏休みの宿題として何とか読んでいる。
五年程前に気まぐれで読んだ『三四郎』は面白かった。
しかし、その勢いで『吾輩は猫である』に再チャレンジしてもどうにも続かない。
そもそも中学生のI君が何度も読み返してはクスリとしていた小説を、
四十男が手を焼いているのが情けないではないか。
「ロシナンテ」のワゴンから『こころ』を抜き出し、レジに持っていく。
青っぽい思い出が招く読書の秋は500円玉一枚なりか。
- 経年変化 〜レザーな日々
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2008.05.30 Friday趣味について
挑戦書きます。(口調がころころ変わってすいません)
皮革製品。レザーについてです。
まず中坊のとき、革ジャンに憧れていたというのがありました。
小遣い溜めて買ったのが茶系のストーンウォッシュのジャンバー。
羊革特有の柔らかさがありながら重量感もなかなかで、お気に入りの一着でした。
そのうち中免でバイクを乗るようになって、冬などは重宝したものですが、人間の方がどんどん重量感を増してしまい(恥)あわれ自慢の革ジャンは母親によって従弟の元に強制処分されてしまいました。
それからブーツやらウォレットやらと小物を揃えるうちにバブル到来。
会社関係で海外に行くたびに財布、パスケース、キーケースと阿呆みたいにヴィトンを追いかけ始めて、モノグラムだ、エピだ、ダミエだと免税店を飛び回る日々。
ご存知、ヴィトンは丈夫なのでズタボロになるまで使い続けていましたが、さすがにダミエ柄もわからなくなるほど汚れ、ステッチもほどけてしまうと、結局ブランドものなどボロくなったらどうしようもないことを悟り、ならば皮革製品なら古びることで味も出てくるだろうと、その手のものを扱うサイトをうろつき始めたのがちょうど2年くらい前のことでした。
革製品のサイトを見ているうちに牛革の分類もカーフ、キップ、カウだの、加工の種類もヌメだのブライドルだのミネルバボックスだのという知識を自然と仕込んでいき、
その奥の深さがどんどん面白くなっていったわけです。
そこから得たひとつの結論として、“なめし”は化学薬品やクロムなどを使ったものではなく、自然の渋(タンニン)で鞣した製品だけを求めようということでした。
まず財布。尻ポケ派なので長財布は馴染めず、二つ折りをネットで探しました。
以前は別個に持っていた札入れと小銭入れは、携帯電話がポケットひとつを占領するようになると一体型が便利だと思うようになり、さらにカード入れが豊富なものを求めて、ある工房のサイトから通販で購入しました。
ところがカード入れは多いものの、それ全部に免許証、健康保険証からクレジットやら銀行やらICやらもろもろのショッピングカードを入れると豚のように膨らみ、二つに折れないという致命的な欠陥が発覚したのです(なんだかな…)。
本当なら必要最低限のカードを間引くという発想になるべきでしょうが、阿呆ですから、より収納が可能なものを物色し始めるわけです。leather-gは既にヌメ革の文庫本カバーを愛用していたので、その肌触りの良さとヌメ革独得の色の変化は堪能済みで、信用は抜群だったわけです。
そこで目に留まったのがleather-gというショップのナチュレシリーズの多機能財布。
ポケットが蛇腹(じゃばら)になっているのでいくらでもカードの収納が可能であるのと、
早速、名入れの刻印もしてもらって購入しました。
ところが…(苦笑)。ヌメ革の手入れの大変さをすっかりナメてました。
財布を使う頻度は文庫本カバーの比ではなく、染色をしていないヌメ革はあっという間に手垢やらで黒ずみ、小汚くなってしまいました(泣)。
BREE新宿の店員さんに話を聞くと、ヌメ革は購入後一ヶ月間を日光浴させて、日焼けさせることで傷や汚れが付きにくくさせるものなのだそうです(これって常識?)
さらに縦横、幅のサイズは確認したつもりでしたが、思った以上にデカく(苦笑)、
収納はバツグンですが、朝の通勤時に改札で尻ポケから財布を取り出すのがひと苦労で顰蹙を買いまくる事態となりました(汗)。
思うにこの財布は女性がバッグに入れて持ち歩くものだったようですな(呆)。
以上、学習したのが、もう通販では買わないぞということでした。
その後、仕事で外回りをしては目に付いたリアル店舗を覗くという日々を送るほど、革製品にのめり込んでいくのですが、そこで目をつけたのが土屋鞄製造所とHERZというショップが工房と隣接している革好きには有名な店でした。
まず土屋鞄から試しにペンケースを購入。
なんとも安いボールペンを入れるのが憚れるくらい革に格の違いを感じさせます。
そしてHERZではキーケースを購入しました。
この店はホームページにあるようにステアハイドというぶ厚い牛革に太いステッチが特徴で、頑丈な仕上がりというのがウリとなっています。
なにせモットーが「使い込んでいただくことが最高の手入れ」というのですから、まるで私のためにあるような(笑)。もちろん色の変化も申し分なく楽しめます。
キーケースは6連のものでいいものを探していたので、これは「あたり」でした。
手垢で黒ずんできましたが、そこが黒光りしてくると「汚れ、だから?」と大らかになってまいります。
次に手帳カバー。
ダイアリーはずっと、和田裕美の「W’s Diary」を愛用しています。(これ超オススメ)
私の場合、手帳は仕事のパートナーみたいなもので、得意先のあれこれやらスケジュールやらをびっしりと書き込みます。
「アンタはすき間恐怖症か?」といわれるくらいなのですが、これが無ければのんびりと野球場にも行けないという具合で、それが故に愛着のあるものにはカバーをかけてやりたいと思っていました。
ところが困ったことにこのダイアリーのサイズがイレギュラーなもので、既成のものはなく、オーダーメードが必要となります。
一応、この「W’s Diary」専用の革カバーも通販されていたので1万円も出して(!)買ってみたのですが、これがあまりにも貧弱なトンデモ革で、良質のタンニン鞣しの革を見慣れた目にはじぇんじぇん話にならないシロモノでした(怒)。
結局、下北沢にある革工房にオーダーすることになり、原皮から染色、ポケットの位置からペン指しまでを指定して1ヶ月待つことにしたのです。
出来上がったものはネームの刻印もバッチリ決まり、重厚感たっぷりで大満足でした。
「おう、とことん使い込んだろ!」という勢いだったのです。
それが今はページが終わった貯金通帳の収納になってしまいました。
何故なら…臭い!臭すぎる!獣の腐臭のような強烈な臭いが鞄の中に充満して耐えられるものではなかったのです。
なんでオーダーしたときに気がつなかったのでしょうか。
しばらくは我慢しながら何とか臭いを消す手立てはないものかと調べてみたのですが、皮の繊維に沁みこんだ臭みを消すことは不可能であるとの結論に達しました(涙)。
結局、信用度満点のHERZで既成の手帳カバーのカスタマイズをお願いし、特注で作ってもらいましたが、何故、最初からそれをしなかったのか後悔先に立たずということでしょう。
まあ趣味趣向には高い授業料はつきものだということです。
それ以来、私はショップで革小物を手に取ると匂いを嗅いでみるというのが必須となりました。良質の革の匂いは本来はいいものです。
普段、仕事で持ち歩く鞄もHERZのダレスバッグを使っています。
今やビジネスマンの殆どがナイロンのソフトバックを持ち歩いていますが、その中にあって、この武骨なまでの重量感はかなり満足度が高いです。
ショルダー仕様のものを選んだのは、歩きながら電話をしたり、電車内でつり革片手に本を読むときに手ぶらの方が便利だからですが、おそらくダレスバックにショルダーは本来ミスマッチなのだとは思います。
そこのところをHERZ青山本店の店長にお伺いしたところ
「ウチのダレスはステッチが太いのでカジュアル感覚でもイケますよ」
「ホントですか?」
「ええ、ジーンズにも合いますよ」
「……ホントですか?」
丈夫で頑丈、一生使えるカバン。という重量感が売りであるのは確かなのですが、
重量感というよりも実際に重いです。とにかく重い(汗)。骨格が変形しそう(爆)。
今、ナイロンのソフトバッグが流行っている理由がよくわかります。
ダレスは開け口に鉄棒が仕込まれているので、ただでさえ重く、そこにHERZのぶ厚い革が加味されると中身がカラでも重いのです(しつこい?)。
しかしそこを耐えて、やせ我慢しながら大都会を闊歩してこそ真のレザーマニアなのだと頑張ることにします(苦笑)。
…そうはいっても行き帰りの通勤にはこのダレスでは厳しいので、土屋鞄のジップトップ・ショルダーを購入しました。
外側はオイルヌメ特有のいい香りが漂い、内側にはピッグスウェードが施されているというもので、少々贅沢してしまいましたが、通勤のほかにもちょっとした外出時にも愛用しています。
もはや革製品に関して下手なものは身につけられない体になってしまったようですが(汗)、これを買った鎌倉店はアンティークな佇まいで、ショップというよりも洒落たギャラリーという雰囲気。
長らく鎌倉には足が遠のいていたのですが、これを機会に何度か足を運ぶようになりました。
そうそう最後に懸案の財布なのですが、
手帳カバーで味をしめた勢いでHERZに特注で作ってもらいました。
もともと分厚い革を使っているため、ポケットの多いものは得意ではないということでしたが、片面カード入れを両面にしてもらい、札入れの中にも隠しポケットを作るなど我がままな注文によく応えてくれたと満足しています。
小銭入れが外側についていて、早くも尻ポケに刷れて黒ずんできましたが、まったく気にならないところが無精者には嬉しい限り。
とにかく手帳カバーも含め、世界にひとつしかないものというのは気分がいいものです。
ということで、今や革製品のショップどころか、原皮を計り売りしている店、レザークラフトの素材を売っている店まで覗くほどの革好きになってしまいましたが、
HERZの重いダレスを肩からぶら下げて仕事回りをしながら、実は一番厄介なのは、我が身の経年変化であることを実感している今日この頃でございました。