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叔母のこと

 年末に脳血栓で倒れ、意識不明のまま病院に運ばれた叔母について。

 両親とも大家族なので、私には大勢の叔母、叔父が大勢いる。
大勢いると近い人と遠い人、顔も知らない叔父、叔母もいるのだが、
先日、脳血栓で病院に運ばれた叔母には幼い頃からずっと付き合ってもらっている。
幼い頃どころか、大雪の日の難産のとき姉である母親に付き添ってくれたのが、当時高校生の叔母だった。

 つまり自分が産まれたときに立ち会ってくれた人。
叔母ではあるが今でも「まっちゃん」と呼んでいる。ずっと姉のような存在だった。
そのまっちゃんは十人兄妹のうちで唯一、恋愛結婚をした人だ。
婚約中の伯父とのデートに子供だった自分はよくお邪魔虫をした。
田舎者ばかりの中で都会的な雰囲気のまっちゃんことは好きだったし、
まっちゃんも随分と可愛がってくれた。
結婚式のときもよく憶えているが、父親が長期不在なのが最適だったのだろう、従弟を産むときに我が家に滞在たことがあり、勉強も見てもらったことを思い出す。
一番ありがたかったのは、自分が高校のときフラフラしているのを、出産のとき苦しんだ母親のことを手紙にして、たしなめてくれたことなのだけど。

 しかし勤め人だった伯父が身体を壊して職を失うと、一念発起して墨田の玉ノ井で焼鳥屋を開業。
玉ノ井は昔遊郭が軒を並べた「ぬけられます」の赤線地帯。
都会的センスに溢れたまっちゃんがいきなり下町向島の焼き鳥屋の女将となった。
たまにそのことをぼやいていたが、夫婦は懸命に激務をこなしていたと思う。
その甲斐もあって常連客もついて、店は繁盛して増築もした。
早くも開業して35年を超えた。従弟も立派に二代目として厨房に立っている。
身内の贔屓目としても、この店のつくねは大変美味い。
軟骨からレバーまで肉の旨味をギュッと凝縮して、ここのつくねを味わってしまうと、ちょっと他のは食べられないんじゃないだろうか。

 残念なことに伯父もまっちゃんも身体が丈夫とはいえず、
二人して交互に病院に担ぎ込まれることもしばしばで、危篤の報せを受けたこともあった。
血管病は母方の家系病で、母親も十年前に大きな手術をして人工動脈が埋められているが、まっちゃんが病院に運ばれるのは今回で三回目だ。

 今夜、BSの人気番組「吉田類の酒場放浪記」でまっちゃんの店が紹介された。
画面の中で手製のぬたを「ワカメとネギと鮟肝で和えて・・・」と吉田類に差し出すと、
「味が練れている。練れているということは味が洗練されている。こういうのが下町の奥の深いところ」との評価を貰って、何とも嬉しそうだった。
これ、いつの収録だったのだろう。
まっちゃんも伯父も従弟もオンエアを楽しみにしていたことだろう。
画面のまっちゃんと病床のまっちゃんとがオーバーラップして、
一層、急の病魔が本当に恨めしくてならない。

 見舞いに行ったとき、伯父がスプーンで流動食をまっちゃんの口に運んでいた。
夫婦水入らずの機会もそうはなかったろうから、何十年ぶりかのお邪魔虫だ。
まだ70前なのだからこれから辛いリハビリにも耐えてくれることだろう。

 身内のことながら「頑張ろう!」の一言を。

author:ZAto, category:戯言, 23:59
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さて、このブログどうしましょう?
 友人たちがやっているブログが、軒並み更新の頻度が減ってきている。
それは仕方がない。更新が滞ってしまう事情はおおよその察しはつく。
始めた頃は話題も豊富で楽しい。それが閲覧者が増えると次第に義務化する。
新鮮味がなくなると宿題が溜まってしまう。
ブログに書きたくて始めたことが、実はブログに書かされてしまう。
もしかしたら、ブログにアップするのが目的で何かしらの行動をとる場合もあるかもしれないが(そのこと自体は否定しない)、そこまでのやる気も時間もない。
まぁ大体そんなところだろう。山守のおやっさん、、、ワシもおんなじじゃ。

 改めて我がブログをスクロールしてみると、殆ど映画と野球のことしか書いていない。
もともと広く閲覧される努力をまったく放棄した勝手気ままなブログだとしても、
そもそもHP雑途往還に映画も野球のページがあるのだから、
果たしてこのブログって必要だろうか。
自分の場合、自由に使える時間が人よりも圧倒的に多いはずだとしても、
書き始めてからアップするまで(文字量が増える悪癖もあって)人の何倍もの時間がかかってしまうとなると、アップ予定の映画評も溜まり、消化するまで観賞を自粛してしまう。
何だかもの凄い本末転倒だ。
野球の試合評(一応ね)も、今日の勝利を称賛するつもりが、翌日にボロ負けされると途端にキーを叩くのが億劫になる。
結局、消化出来ずにシーズン終盤に失速し、金本知憲引退というトピックスも手がつけられず放置したまま年を越してしまう。
そもそも書くことより画像を作ることにエネルギーを使ってしまうのが良くない。
仙台、北海道と旅したことも結局は賞味期限を切らしてしまった。
(旅について書かないブログってなかなか凄くないか)
さらに、日常のあれやこれやを綴ることも日めくりで充足されているとなると、
自分にとってブログの存在意味は殆どないのだ。
それでもブログは書く方からすると楽は楽だし、スマホから閲覧、編集もできる簡便性も捨てがたい。
いっそ「日めくり」をブログに移管してしまうかと何度考えたことか。
 
 まず今後はこのブログに通常の映画評と野球観戦記は書かない。
何かトピックスがあればそれだけを書く。
映画についてはHPに映画観賞記録を新設した。
野球についてもこれから考える。
従ってブログの方は一層、更新頻度が減るだろうが、
アップしたらHPの更新履歴で必ずお知らせするので、
「日めくり」に行ったついでにクリックしてしていただければ無駄足を踏まずに済むはずです。

 って、私は閲覧して戴ける方々に何を指示しているのでしょうか?


author:ZAto, category:戯言, 11:19
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年賀
年賀
author:ZAto, category:戯言, 13:35
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命、ひとつひとつ

 とんでもないことかもしれないが、正直に書く。
今朝まで、東北地方太平洋沖地震による死亡者は8649人と発表された。
途方もない数の犠牲者であるが、この度の震災では数に鈍感になった自分がいる。
これが16年前の阪神大震災のときはどうだったろう。
崩壊した家屋の瓦礫から埋もれた遺体が出てくるたび、増えていく死亡者数を驚愕の思いで見守っていた。
今度の地震にはその驚愕の思いが薄い。
警察に届出があった行方不明者が1万2887人。
おそらく、届出もされないままの安否不明者も多いはずだ。
だから、まだ8649人の死しか認定されていないのか・・・と思う。
その内、身元が確認された遺体が4080人。
痛ましい限りでも、それは家族の元へ帰ることが出来た人の数だと思ってしまう。
そもそも「万単位の死亡者になる」といわれてから一週間が経つ。

 地震の翌日、私たちは想像を絶する津波の猛威を映像で目の当たりにした。
陸前高田、釜石、名取、気仙沼、石巻、南相馬・・・。
堤防をあっさり乗り越え、家や田畑を次々と蹂躙していく様は本当に凄まじかった。
津波は大きな波が襲いかかるのではなく、海そのものが街にやって来るものだと知った。
ニュース映像は衝撃の瞬間を繰り返し、それを世界中に発信していったのだが、
ヘリや高台から俯瞰で撮られた映像には逃げる車は映っても、人の姿はない。
そこに映されたのは、奪われていく命より、ただ、特撮映画の一場面のように家屋をなぎ倒す映像のインパクトが優先されていたような気がする。
いや薄々ながら、命が奪われていることを知りながら、想像を止めていたのかもしれない。
だからNNN系で高台へ逃げる人々の目線でとらえた映像が出たときは、本当に怖かった。
陸前高田の消防士が撮った映像には、「逃げろ!逃げろ!」と叫ぶ声の中、足を止めて背後から山のように襲って津波を見つめているおばあちゃんの姿がいた。
すでに街が一瞬のうちに津波に呑み込まれる高台からの俯瞰映像を見ていたので、我々は荷物を担いで逃げていた人々の大半の命がおそらく失われたであろうことを知っている。
職場で震度5を体験し、帰宅難民となったところで、私は震災の当事者ではない。
高台からとらえた津波映像を、さらに俯瞰しながら命が失われていく様を実感しないまま唖然と眺めていた傍観者に過ぎない。

 この度の震災がえげつないのは、地震で助かったことを家族に伝えようと時間を取られている間に津波が襲ってきたこと。
だから肉親とかわした最後の言葉が「怪我もなく、無事だよ」だった被災者も多い。
阪神大震災と違って、崩壊した家屋の下に遺体がなく流されてしまっているのだ。
こうして命は家族の元へ帰ることなく何処かへ漂流している。
陸前高田を故郷に持つ職場の先輩は、お姉さん夫婦の安否がまだ不明だというが、
遺体が安置された体育館には身元の確認をする家族で長い行列になっていたらしい。
肉親の遺体を確認する作業は想像を絶するが、少しでも早く見つけてあげたいのだという。
そういう話を聞くと、途端に津波映像では感じなかった「命」の存在が胸に迫ってくる。

 中島みゆきに『命の別名』という曲がある。

くりかえす悲しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を “心” と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

 失われた8649人の命のひとつひとつに思いをめぐらせることなど絶対に出来ない。
まだ家族にめぐり逢えないまま漂流する1万2887の命にも生死の物語があるのだろう。
しかし、食事も生活物資もままならない避難所で、老いた母親は「息子からの生きているという便り」がいちばん欲しいという。
その避難所の中でさえ失われていく命もある。
命どころか、私には避難所の生活さえも想像するのは難しく、
数で語られる死亡者数、行方不明者数、避難住民数には鈍感であり続けるだろう。
しかし被災した病院で新たな命が誕生したニュースもある。
80歳の祖母と16歳の孫は、被災から9日間も命を繋ぎ続けた。
過酷な原発事故の現場で命をかけて懸命の作業にあたる人たちもいる。
避難所で過ごす妻は原発で働く夫から「がんばれ」というメールをもらい、
「生きて帰ってきてください」と返したという。

 危機管理の不備、責任の所在、原発の是非など、考えたいことは沢山ある。
しかし津波映像を唖然としながら傍観してしまった私は、
しばらく、命のひとつひとつから目を逸らしてはいけないのではないかと思い始めている。


author:ZAto, category:戯言, 12:20
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マグニチュード 9.0

 昨日(11日午後2時46分頃)に起きた東北沖を震源とする大地震について。
ニュース映像に映し出される宮城、岩手の災害の凄まじさを見るにつれ、たかが帰宅難民になりかけた身で当事者のごとく書くのは非常に心苦しいのだが、震度5は生まれて初めての体験であり、揺れの体感と帰宅するまでの顛末について書き残しておこうかと思う。

 その時、私は豊島区要町、9階建てビルの3階部署にいた。
最初、揺れは小波のようで、職員のひとりが「地震かな」と気がつき、誰かが「おお、揺れてるな」と呼応した程度のことから始まった。
そのうち次第に横揺れが大きくなり、「これデカいぞ」となって、全員が立ち上がった途端に左右に振られるようになり、「何かにつかまろう」という声がした後は全員が途方にくれたようにただ揺られるままに身を任せていたという感じだった。
この部署には頑丈な机があるわけでもなく、大きな書類棚があるわけでもないので、私はパーテーションに掴まっていたのだが、実際はパーテーションが倒れないように抑えていたというのが正解なのかもしれない。
「テレビ、NHK」と頼んでテレビをつけてもらうと、渋谷を映し出した画面が大きく揺れており、すでに三陸沖が震源であるとテロップが流れていた。

 揺れが一旦収まったので4階の事務所に駆け込むと事務機器が崩れ落ち、給湯器付近ではガラスのコップが割れ、トイレのドアから水が漏れ出している。
ビルではフロアをひとつ上がるだけで揺れが増す。床を拭いていると地震の第二波。
今度はドアを開けていたので外の音が耳に飛び込んでくる。
階上フロアから人の叫ぶ声が階段を伝って響き渡り、「ガツン、ガツン」と宙吊りのエレベーターの箱が壁にぶち当たっている轟音が激しさを増す。
地震は揺れの大きさはもとより、悲鳴や音が恐怖心を煽ってくることがよくわかった。
窓の外を見ると電柱や信号が激しく揺れて、舗道では通行人や商店の店員たちが立ちつくしていた。

 NHKの画面には「東京・震度5」のテロップ。私には初体験の震度だ。
とても立っていらずにしゃがみこむほどのことでもなく、天井の部材の落下や、棚が倒れてくるほどではなかったのだが、揺れている最中はどの程度で収まるのか、さらに酷いことになるのかまったくわからないのが本当に気持ち悪い。
さらに揺れが収まっていているのか、まだ揺れているのかもわからなくなる。
「まだ揺れてる、まだ揺れてる」との声。余震は本震を上回ることはないとはいわれるが、
常に揺れ続けているように感じてしまう。それも気持ち悪い。

 テレビのニュースが各地の被害を伝えている。
津波が絨毯のように集落を呑みこんでいく映像はあまりに現実感が乏しく、職員も呆然と見送るのみだったが、各地域の震度が報じられると、案じられるのが実家や家族のこと。
余震は断続的に続いているが、もう多少の揺れにはマヒしてしまったように職員たちはそれぞれ電話や携帯で自宅に連絡を取り始め、私も実家に電話をかける。
しかし呼び出し音は聞こえても誰も出ない。
そのうち横浜駅西口のハマボウルで天井が崩落したとのニュースも聞こえてくる。
よく知るスポットの事故はそれだけで一気に地震被害の現実感が沸くものだ。
そもそも老齢の父母と築40年ですっかりガタついた木造の家が震度5に耐えらるのものだろうか。
上司に早退を申し入れると、どのみち仕事にならないのだからということで、4時半に業務は打ち切りとなった。

 さて、豊島区から横浜の実家までどうやって帰るか。当然歩くしかない。
おそらく電車は終日レベルで運行見合わせになるに違いない。
山手通りで渋谷に出て、国道246を西に下るという大雑把なルートを組み立てる。
カバンも置いて、身軽にジャケットの下にジャンパーを着込んで出発。
やはり慌てていたのかも知れない。携帯の予備バッテリーを置いてきてしまった。
そして、google mapで最短帰宅ルートをプリントすればよかったと後悔。
次にこういう事態となったときは必須項目として肝に銘じておくしかないだろう。
中野坂上を過ぎて、新宿を越えたあたりで早くも一時間が経過し、時間とともに電波状況が悪化していくのに苛つきながらひたすら歩く。
赤いランプで閉鎖を知らせる高速道路。大渋滞の幹線道路をけたたましいサイレンを鳴らして行き交う緊急車両。
満員すし詰めのバスとはこちらが徒歩にもかかわらず何度も追い越し、追い越されるを繰り返す。
あらためて普段の東京の日常とは違うことを実感する。
回線が制限・遮断されたのだろうか、実家の電話を呼び出すこともなくなった。バッテリーの残量ゲージがまたひとつ下がる。
 
 こう見えてもそこそこの距離を歩くことには自信はあった。
しかし、やはり加齢と肥満、普段の運動不足がたたったのだろう、渋谷に到着して国道246に差し掛かったあたりで足が重くなり、腰も痛くなってきた。
しかもビルから吐き出される勤め人が次々と狭い舗道に溢れて、舗道を埋めてくると自分のペースで歩けない。
こういう場合は淡々と歩いていくに限るのだろうが、携帯を操作しながらうつむき加減に前をタラタラと歩かれると一瞬突き飛ばしたくもなってくる。災害時には陥りやすい感情なのだろう、自分でも恐い。
仕方なく、舗道からはみ出て車道の隅を歩くことになるのだが、そうなるとバイクの走行に気をつけなければならないし、大渋滞の脇で大量の排気ガスを吸い込むことになる。
それでも苛々しながら歩くよりはマシかと思うようになっていたのだが、何より閉口したのが、日の翳りとともに気温が一気に下がり、やたらトイレが近くなることだった。

 三軒茶屋で休憩。auショップを見つけたので、携帯の充電をお願いすると「あと10分で閉店」だという。もう時刻は午後8時だ。
豊島区の職場を出てから世田谷区まで3時間半もかかっている。少々めげてきた。
しかし三軒茶屋のホテルもネカフェも満杯。もともと帰宅難民で溢れ返る都心にあって、泊まるのならもっと早く手を打たなければ駄目だったのだ。
いくらかマシだろうと思い10分間の充電をしてもらって出発。
相変わらず自宅とは連絡取れず。横浜市内のかなりの世帯で停電との情報もある。
とにかく多摩川は渡って神奈川県内には入っておきたい。

 二子玉川の高島屋では一階フロアを休憩所として開放していた。
多くの帰宅難民たちがそこで休憩している。あるいは宿泊も考えているのか。
受信メールはすべてセンター預かりとなっていた。「新着メール問い合わせ」のボタンを押すとドッと受信メールがはき出される。
無事を案じてくれて本当にありがたい。すぐに返事を出すべきだがバッテリーが気にかかり、実家連絡を優先させてもらった。本当に申し訳ない、でも感謝します。
メールにはTwitterの情報を拾って紹介くれたものもあった。
「BICカメラではサービスでバッテリーの充電をやっている」「品川プリンスが無料で開放された」「立教大学も校舎を開放」「公衆電話は無料」など。
Twitterなど縁のないもと思っていたのだが、災害時のツールとしてむしろ必須なのではないかと思えてくる。
中には「サントリーの自動販売機はすべて無料」なる真偽不明の流言が飛び交うリスクはあるものの、情報選択の判断材料がないよりはマシ。
それくらい外を歩く人間には情報がなく、心許ないことを実感した。
また、フロアを開放してモニターを設置して椅子を並べていた二子玉川の高島屋のようなサービスをもっと地域ぐるみで充実させるべきではないか。
トイレを借りるために入ったコンビニでは、出来合いのBGMを流すだけの店もあれば、ラジオの災害情報を流していた店もあった。
各キャリアの携帯ショップは閉店時間を延ばしてまでも携帯の充電サービスをやるべきだ。
国道246に入る入口では中華屋のおじさんが、ボール紙にマジックで「渋谷・東京方面←→厚木・神奈川方面」と道標を掲げていた。普段、歩くことのない帰宅者にはどれだけありがたかったことだろうか。

 多摩川を渡って、ようやく神奈川県川崎市に入ったところで、実家と連絡が取れたときには夜の9時を回っていた。
おかげさまで家ともに老父母とも大事なく、逆にこちらのことを案じていたという。
ここで完全に気が抜けた。身体も冷えてしんどいし、歩く意味もほぼなくなった。
今度は何が何でも宿泊場所を確保する必要がある。
場所は東急線とJR南武線が乗り入れる溝の口駅で、多くの勤め人たちが駅のコンコースや歩道橋に座り込んでいる。
バスやタクシーには長蛇の列、公衆電話の前にも多くの人が並ぶ。24時間営業のスーパーもどうやら臨時休業を決めたようだ。すでにJRは本日の運休を決定している。
このような状況なので、どこのネカフェも満杯。そこそこの商業地なのでおそらくホテルも押さえられているだろう。
バスやタクシーも国道の大渋滞をすでに目の当たりにしてしまっているので、とても寒空に身をすくめて長い列に並ぶ気にはなれない。
さらに足を進めて先の街まで行こうと思いつつも躊躇して、また駅前に戻るなど、結局、溝の口の駅周辺を一時間もさまよってしまった。とんだ時間と体力の無駄遣いだ。
しかし、結果的には溝の口駅前でくずくずしていたのが幸いした。
東急田園都市線が運行を開始してくれた。これで実家は無理でもアパートには帰れることになった。
アパートはちょっとした物や鏡が落ちていた程度で、震度5の揺れがあったにしては落ち着いたものだった。
職場で事務機器が棚から落ち、グラスが割れ、トイレの水漏れがあったことなどを思えば都心の方が揺れが大きかったのかもしれない。

 テレビをつけ、東北地方の甚大な被害には思わず目を瞠った。
自然の猛威に呆然とするのみだ。
とくに陸前高田の集落を呑みこんだ大津波の映像。そこに職場の先輩の実家がある。
福島に本家を持つ人もいる。原発の事故も非常に不安で、災害は未だにリアルタイムで進行している。
去年、足を踏み入れた仙台、塩竃、松島の界隈も甚大な被害に見舞われている。
まだこの度の地震を総括できるレベルではなく、地震の名称すら各マスコミともバラバラな状態ではあるが、被災地に孤立している人たちの迅速な救済を祈らずにはいられない。


author:ZAto, category:戯言, 12:25
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今年も宜しくお願いします

 まだ松の内とはいえ年末年始休みも今日まで。
どうせ休みなど「あっ」という間に終ってしまうものとタカを括っていたのが幸いしたのか、淡々と仕事始めを迎えることが出来そう。

 まあ県内から一歩も出ず。何かしたわけでもなく寝正月と大して変わらない毎日でしたが、それでも元旦に川崎大師を参詣したのは例年にないアクティビティな行動だったとはいえるでしょうな。
因みに出掛けたのは夕方からだったので、正確には元旦ではなく元日。
(テレビで「元旦の夜」などありえないと池上彰氏が解説しておりました)

 さて初詣は神社と決めていたので、お寺への参詣は生まれて初めて。
神奈川に住んでいながら川崎大師の門をくぐったのも初めてで、川崎駅から京急大師線に乗り換え、人の波に任せて辿り着きました。
アクセスは明治神宮の方が全然早い(苦笑)。
それでも、全国参詣客数でも必ず三位以内に入る関東三本山のひとつだけに、いやはや人のごった返しには閉口しました。

 おみくじは「吉」。
「桂華春将到  雲天好進程  貴人相遇処  暗月再分明」
…大学で漢文を専攻していたのによう意味がわかりましぇん「(゚ペ)
そもそも「吉」は「中吉」よりも上なのか下なのか。わからんことだらけ。

・願望----冥助ありて意外に意外に願望を成就すべし
・悦事----次第々々に悦びをむかふべし
・交友----交情一層濃やかなるべし
・恋愛----美しく春の如く明るき愛人の真心を得べし
・婚姻----調ふて末よし
・出生----安産なり
・職業----多年の苦心研鑽により今也成功の時到れり
・住居----移りてよし
・造作----さわりなし
・旅行----大いに先行きの幸あり
・方角----西の方可なり
・訴訟----勝味十分なり
・売買----急ぐは不利なり熟慮してたてば共に利あり
・賃借----無理なき解決を図れば損失を免るべし
・待人----遠くとも来るべし
・失物----出るともおそし
・走人----改心して真人間となり帰る喜びあり
・疾病----長引きても安心せよ本復すべし

 書かれていた内容は上々ではないですかね。
この内、「造作」は家を建てることかなと何となくわかりますが、
「走人」の意味がよくわからなかったので調べてみると、
「自分の周りから去っていった人、疎遠者、失踪者」ということ。
う〜ん、真人間になって帰ってきたら嬉しいのだけど。

 今までの教訓からおみくじは祈願する前に引きました。
お賽銭納めてから「願い事叶わず」なんで出たら目も当てられません(苦笑)。
おみくじで思い出すのは、昔、神奈川営業所のアタマ(一応)をやらせてもらっていたとき、営業所の仕事始めに仲間たちを連れて鎌倉鶴岡八幡宮に詣でて、ひとりが「凶」を引いたものだから「何やってんのよ、縁起でもねぇな!俺が引いてやんよ」と引いたところ「大凶」(爆)。
皆で腹がよじれるくらい笑ってしまったなんてことがありました。

 それにしても日が暮れたというのに人が多い。
祈願するにも賽銭箱まで幾重にも列がならび、警備にあたる警察官の笛の合図で数列ごとに前に進むシステムは、刑務所の浴場かと思いました。
やはりパン、パンと拍手を打つ人が大勢いました。
ここは神社じゃないっちゅうに(笑)。

 参道から駅までの各通りにはテキヤ、模擬店などの屋台、だるまなどの縁起物の売店、甘酒、飴屋などが途方もない数で軒を並べておりました。
今はシシケバブ、トルコアイス、タコス、トッポキなんてあるんですな。
最近は七味唐辛子も目立ってきたような気がします。
昔の縁日にあったスマートボール、ひよこ、ヨーヨー釣りは見かけなかったな(季節が違うから?)。
人に揉まれにいったようなものでしたが、祭事の高揚感は楽しめました。


 さて、アパートの防音工事の問題や、今の仕事を続けていいものだろうかとか、今年は球場観戦を抑えようとか、いろいろ思うことはありますが------

 今年もよろしくお願いいたします。


                                             平成二十三年正月


author:ZAto, category:戯言, 12:32
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名画座

「名画座」


情報誌から消えてしまった 遠い日に入りびたった名画座
お世辞にもきれいな小屋ではなく テケツのおばちゃんも無愛想だったけど
1秒24コマの青春だった

小便臭い小屋の 前から二列目のいちばん隅が指定席
休憩時間に演歌が流れ ほとんど応えことのない
上映希望リクエスト箱が置いてある

煙草はみんな吸っていたし 酒飲みながら観ていた奴もいた
土方のおじさんたちの寝場所でも 女子供が寄りつかなくとも
300円三本立ては崩さなかった

黄ばんだスクリーンには ゴダールもヴィスコンティもかからなかったけど
野毛町の電柱に貼られた スチルを着色した日本映画のポスターに
不思議と胸がおどっていった

雪の今戸橋をころがる蜜柑 純子と文太がみつめあったのも
突然の雨に困ったリリィに、寅さんがそっと傘を差しだしたのも
山守親分のあまりの理不尽に大笑いしたのも

少年が通天閣のてっぺんから鶏を飛ばしてみせたのも
女郎屋の番傘ひろげて海に消えていった特攻青年も
狂犬と呼ばれたやくざが焼かれた骨をボリボリと齧ってみせたのも

スピーカーから割れんばかりのボリュームで 健サンの唐獅子牡丹が鳴り響き
真っ赤に塗りつぶされたヨットは、どこまでも湘南の海をさまよっていく
なかなかやんけー、なかやんけー えんやーとっと、えんやーとっと

投げやりに大学を受験して あの頃いつもひとりだったし
これといった思想も見つからなくて 持て余した時間を捨てるため
小屋に通っていたはずだった

そしてあれから何年間か ぼくの足は遠ざかったけれど
面影を変えた野毛の路地に あの頃のいい加減だったぼくが
今でもポツリとたっている

ギラついた目線を投げる梶芽衣子のポスターが
雨でびしょびょになりながら 見向きもされずに残ってる
「絶賛上映中」の文字が悲しいけれど



タイトル『名画座』  …30年前の大学ノートの落書きから。

author:ZAto, category:戯言, 09:21
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禁煙十字軍が来た!

 サウナで汗をかき、露天の湯気と身体からのぼる湯気に包まれながら、一服。
それが冬空の中、肺腑を循環して吐き出される煙が湯気とシンクロしていく至福。
こんな露天のベンチに灰皿を置いている銭湯に感謝しつつ、この至福を知らない人たちがいることを心の底から気の毒に思う。
……以上、半分は冗談です(汗)。
でも半分の本気というのがあって、その半分の思いに対して、嫌煙家からのバッシングがいよいよ熾烈を極めてきた。

 去年、このブログにて「神奈川の禁煙条例について」という駄文を綴った。
 そしてどうやら横浜市、相模原市、東京都町田市と隣接する我が住処の○○市が、その先駆として名乗りを上げたようだ。
それにしたって、いち早く家庭ごみ排出の有料化に踏み切り、県内有数の財政難にして行政サービス最悪といわれる○○市において、禁煙運動にかける財政支出についてはモノもヒトも随分と大した大盤振る舞いではないか。



 そもそも「吸殻のポイ捨てから街の美観・環境を守る」というお題目のもとに、市内の駅前、繁華街に立てられた尋常ではない膨大な数の幟や地面のプレートは、限りなく美観を損なうばかりか、私にいわせれば殆どヒステックであるとしか思えない。
そもそも幟や旗印を立てて追い詰めるなどというのが、三国志、十字軍の昔から侵略者の発想そのものではないか。
駅通路の狭間の辺鄙な場所に申し訳程度に設置された灰皿。
住処の最寄り駅は私鉄2路線が乗り入れる小さなターミナル駅なので、
それなりに乗換え客も多く、この小さな喫煙エリアでは落ち着いてタバコを吸うことなど不可能。
さらに驚くなかれ、灰皿の前に白線が引かれており
「喫煙は白線の内側でお願いします」ときた。
一体、何から何を守ろうとし、何を防ごうとするつもりなのか。
以前、高田馬場駅のターミナルにある喫煙所の前で「禁煙キャンペーン」が繰り広げられていたことがあった。
ようやくタバコが吸えるエリアに辿り着いたサラリーマンが、
憩いのひと時を味わっている背中から大音量のスピーカーでタバコの害をアジる無神経さ。これには本当に腹が立った。
こうなると立派な人種隔離政策だ。

 確かにその昔は電車だろうが、飛行機だろうが、野球場のスタンド、映画館の中高校の部室だろうがタバコを吸っていた。それが許された大らかな時代でもあった。
実際、昔の甲子園球場のチケットに記載された禁止事項に「喫煙」の文字はない。
そんな私でも喫煙についてはそれなりに社会情勢の変化には合わせてきたつもり。
非喫煙者と食事をするときは必ずひと言申し添えることは忘れないし、場所も構わず煙を吐き続け、吸殻をなんの躊躇もなく捨てるような傍若無人のスモーカーではない。
もちろん他人の体内に入り込んで吐き出された煙を嫌うというのも理解している。
実は喫煙者であったとしても、他人のタバコの煙を嗅ぐのは気分のいいものではないのだ。

 そんな私もタバコを止める用意はある。
だいたいタバコに年間25万以上の出費は尋常なる額ではない。
この半生でタバコに幾ら遣ったかなどは恐ろしくて考えたくもないが、更なる値上げによってそれがいよいよシャレにならなくなってきた。
そして初めて職場が禁煙となったのを経験したのが、今から15年ほど前。
そこでガタンと仕事の効率が落ち込んだことを憶えているが、当初は「タバコをデスクで吸わせない会社が悪い」などと傲慢にも思っていたものの、最近は喫煙所に行くための離席時間が非喫煙者に比べてあまりにも多く、それが気になり始めてきた。だから申し訳なさから速や吸いをするので喫煙本来の快感にはほど遠い。
因みに現職場での喫煙者はたったの3人。あとは殆どが禁煙成功者となっている。
数年ぶりに会った人たちと飲み会をやれば、必ず何人かは禁煙成功者がいて、そのことで驚くこともなくなったし、タバコを止めたといっても「偉い!」という感覚もなくなった。
気がつけばレストランで喫煙エリアに空席があったりもする。

 昨年のこと。自分の意志で禁煙する自信がまったくないので、職場近所の医院で禁煙外来の説明も受けた。
内服薬で喫煙への依存を消滅させるという治療できちんと保険が適応されるという。
晴れて煙草依存は国から「病気である」と認定されたわけだ。
しかし国の保険負担なので、治療を始める以上は途中で投げ出すことは許されない。
院長から「○○さんに絶対にタバコを断つという意志はありますか?」と聞かれ、
「…いや、もう少し考えさせてください」と(笑)。
もともと「タバコが健康に悪い」などと爪の先も思っていないのだ(爆)。

 それよりも一番腹が立つのは高額納税者に対する行政サービスの悪さだ。
上記した○○市のような扱いをされると、天邪鬼な私は「誰が止めるかい!」と思ってしまう。
何より嫌煙運動の一部に見られるヒステリーはとにかく煙たい!(爆)
何が腹立つかといえば、「健康を気遣っているのだ」というお題目にある。
それが今度の税率アップの議論で非常に醜悪な形で現れたのではないだろうか。
税収が落ち込むたびにタバコと酒は値上げされ続けた歴史を持つ。
「欧米先進国なみにタバコの定価を上げるべきだ」
「いや、そんなことをしたら、逆に税収の減少につながる」
「産業に従事されている人たちに配慮すべきではないのか」
こういう議論の綱引きはまったく聞き飽きているのだが、某・長妻大臣は言い放つ。
「例え、税収が下がったとしても国民の健康を考慮すべきだ」と。



 前回も書いたが、よくいわれるタバコの害について私は懐疑的に思っている。
何故、ずっと昔から「有毒であると疑われる」という見解で留まっているのか。
いつまでパッケージに印刷されているような「疫学的な推計によると〜」なる曖昧な文言をいい続けるのか。
高校の時に読んだW・ホイットピー博士の著書で「何故、タバコは健康に良いか」という衝撃的な定義を目にしてから三十年。
もう世界の医学会もWWFもタバコの有害性を確証する作業を放棄して、
推定有罪で「悪いと思われるものは悪い!」で決着させるつもりなのか。
少なくとも世の中には喫煙者と非喫煙者がいるのだから、副流煙、受動喫煙の臨床実験を正確にデータ化するべきではないだろうか。
それがまったくなされないまま「他人のタバコの煙を○本吸えば、1本吸ったと同じ」といった根拠不明な話が真実であるかのようにプロパガンダされるのは危険極まりないと思っているのだがどうだろうか。
「タバコのどこが有害なのだ!?」
「そんなの常識でしょ」
かくも常識とは恐ろしい。

 私は非喫煙者と嫌煙家とはまったく別の人種だと思っている。
幸か不幸か、もし私がタバコを止めたとしても絶対に嫌煙家にはなるまいと思う。

 では灰皿が一杯になってきたので、以上っ!(爆)




author:ZAto, category:戯言, 16:13
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熱唱!ひとりカラオケ90分17曲

 まず私はひとりでいることに苦痛は感じない。
野球も映画も芝居もプロレスも、旅だって全然ひとりでOK。
しかし、無類の淋しがり屋だとも思っている。
大宴会はともかく団体旅行は苦ではないし、仲間内が集まっての飲み会も大好きだ。
ひとりで居るときは人恋しさに悶えておればいいし、
大勢でいるときは一瞬ひとりの気安さを思い浮かべればいい。

 それでも正直いうと祝日連休などという日には、
ひとりであることの絶対的な現実を突きつけられているような気がして、
そこになんともいえない情けなさが伴うから困る。
この歳になると連休で暇だからといって、気軽に呼び出せる同世代の友人などいない。
独身者は所帯持ちを羨ましく思い、所帯持ちは独身者を羨ましがるとはいいつつも、
何といっても連休の主役は家族連れ、親子連れだ。
今日あたりは息子や娘の運動会に狩り出されている同世代のお父さんも多いだろう。
まったく、こういうときにタイガースの試合でもやってくれればいうことないのだが。

 さて、今日のこと。
土曜日は前日の神宮球場の結果を受けてボー然と過ごした。
昨日も結果として買い物に出たくらいで家にこもってしまった。
いくらなんでも「体育の日」だ。ネットに張り付いたりするのは止めよう。
そこで風呂に行くことにした(どこが体育の日じゃ)
ところが風呂屋は家族連れでごった返しており、
もうガキが跳ね回るわ、湯船で泳ぐわ、飛沫を飛ばしまくるわ、泣くわ騒ぐわで、
「こりゃアカン」と早々に退散。
結局、近所の「カラオケの鉄人」でひとりカラオケをやることにした。

 ひとりカラオケって笑われることも多いが、実は非常に楽しい。
順番待ちなし、選曲自由、初唄チャレンジ、歌い直し自由、気を遣う必要なし。
何よりも他人の下手っぴな歌を聴く必要がない(悪)。
まして、イントロが流れて「ちょっとこの歌は長いですが…」と前置きしてマイクを取った途端、2、3人がトイレに立ったときの「イラっ」という気分も味合わなくて済む(爆)。
実は私は30代のときに数年間カラオケ屋をやっていた。
店が終るとよくバイトたちと別々の部屋でそれぞれひとりカラオケをして遊んだし、
稀にひとりカラオケをやりに来るお客さんも居た。
実は昨日も「カラ鉄」に行ったのだが、満室で30分待ちだった。
「ひとりカラオケ」はいいが「ひとりカラオケ待ち」はちと情けないし恥ずかしい。
今日はすぐに入室OK!(不動産屋かい)

 吉田拓郎、泉谷しげる、憂歌団、柳ジョージ、井上陽水らを前半に、
後半は北島三郎、尾形大作、渡哲也、小林繁などド演歌オンリー。
かくして私は体育の日に風呂上りに近所の「カラ鉄」で、90分17曲を熱唱した。



 しかしあの点数というのはどんな基準で採点されているのだろうか。
サブちゃんなんか完璧に唄えたような気がするのだが(実は満点狙いの勝負に出ていた)、
本日の最下位73点が出たときには思わずズッコケてしまった。
LINDBERGの「every little thing every precious thing」なんて、声はひっくり返るわ、
途中でキーを変えるわ、音痴だわでボロボロだったのだが89点でこれもズッコケた。
最高点は吉田拓郎の「マラソン」が96点で、しかも堂々の全国一位。
おそらく全国で歌った人がいなかったのだろう(苦笑)。でもこれは名曲です。

 因みに一緒にカラオケをした人は知っていると思うが、私はあまり上手くない。
そもそも「ひとりカラオケ」やって、それをブログにアップするという、
こういうのをいわゆる「自分で慰める行為」というものなのか(汗)
しかし周囲を気にせずに大声を出せるのは球場の他はカラオケくらいなもので、
ストレスを吐き出すのは一番手っ取り早いツールだと思っている。

 俺はヤメねぇぞ、ひとりカラオケを。



author:ZAto, category:戯言, 00:54
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何故かJリーグを観戦してきた

 Jリーグのみならず校内の球技大会のサッカーすらまともに観た記憶がないほど、
サッカーという競技にはまったく馴染んでいない私ではあったのだが、
とある日、「うちの会社がフロンターレの協賛をやっているんで、招待するけど、どう?」
「Jリーグ?ええよ、話のタネに一度観てみるかな」みたいなやりとりをしていた。
もちろん住処の沿線にある競技場という気楽さもあったし、
「神奈川決戦は負けられん」というフレーズにくすぐられるものがあったような気がする。

 もちろん、その話が出たときには、まさかスワローズが大失速し、タイガースにCS出場の目が出てくるなどとは夢にも思っていなかった。
タイガースの残り試合は4。昨日の甲子園では直接対決で叩かれ、全勝は必至という状況。
そんな中で、このJリーグの話自体がすっかり忘却の彼方にあった。

 「えっ、等々力?だって甲子園最終戦だよ、無理無理」
 「会社の招待だから今さらドタキャンは…」

 かくしてタイガースがCSでシノギを削り、甲子園の最終戦だという日曜の昼下がり。
何故か私は川崎フロンターレVS横浜F・マリノスが闘う等々力競技場にいた。

駅貼りポスター“神奈川覇権”

 会場の等々力競技場は川崎市の等々力緑地のエリア内にある。出かけたのは初めて。
最寄り駅にこそ大会のポスターはあったものの、徒歩ではしんどい距離なのでバスに乗る。
改めて繁華街の中心にある野球場がいかに好立地なのかと思う。
等々力競技場のゲートをくぐるとスタンドは超満員。
スタンドが観衆で埋まっていること自体は野球でも見慣れている光景だが、
いつもの扇形ではなく楕円のフィールドであることにまず違和感。
サッカーのサポーターたちの雰囲気も随分、野球ファンたちとは違う。
野球ファンが老若男女が勝手気ままな恰好で、くっちゃべりながら焼き鳥片手にビール飲み、通路にだらしなくたむろいながら、終始喫煙所の灰皿からもくもく煙りをなびかせていたりするのに比べると、ほぼ全員が統一したジャージを着たJリーグサポーターたちは、見たところ私語も少なく、前のめりになって終始吠えまくっていたという感じだった。

 子供たちと手をつないで選手が入場。そして記念写真。
テレビでよく観ている光景。こういう様式は生観戦の場合は少し嬉しい。

等々力競技場

 我々の席はゴールポストの斜め上段。フィールドを縦にみる位置だった。
しかしアウェーである横浜F・マリノスの応援エリアの隣だったため、
フロンターレの協賛招待席であってもマリノスサポーターたちが身体を揺らしながら歌う、
“ ♪ オ〜エフマリ〜ノス〜 オオオ〜オオオ〜エフマリ〜ノス〜!! ” が喧しい(笑)。
おかげで、今も耳にこびりついて離れない。
そう思うと “ ♪ かっ飛ばせー、カネモト! ” という応援のなんと牧歌的なことか。
しかし、例えばゴールを決められたときに頭を両手で押さえての「OH!ノー」というポーズには申し訳ないが笑ってしまった。普段、日本人はそんな嘆き方をしないと思うのが。

 試合はフロンターレがゴールふたつを決めて快勝。
生観戦でゴールネットを揺らすシーンが観られたのはよかったと思いつつも、
何せサッカー音痴でルールの詳細まではわかっていないという観客だったので、
試合を楽しんだとはいい難く、選手もマリノスの中澤くらいしか認知できないまま、
ボールの行方を追いかけているうちに、試合が終ってしまったという印象。
インターバル込みで正味2時間では、野球慣れしているだけに早すぎる。

 とくにゴール前のもみ合いが向こう側のエリアで行われるとお手上げで、
やはりトラックのある競技場ではピッチが遠く、ただでさえ小さく見える選手たちが、
それこそめまぐるしく動き回るので、スピードは体感出来ても迫力や緊張感を感じたかといえば今ひとつだった。
よくわかっていないなりに、フリーキックの場面やセットプレーが観たかったと思う。

 サッカーのライブはチームへ強い愛情を持つサポーターたちのものなのかもしれない。
川崎でも横浜でも関係ないというノンポリの素人見物客ならテレビで十分か。
ある意味、野球といろいろ比べて面白くはあったのだけど。


author:ZAto, category:戯言, 01:31
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